人文特講(創作表現論) 2006/4/17 「猿の手」

 授業の半分ほどを使って、物語のパターンの話をする。あと、同じ形式を使ったパロディとか、ひとつの作品を解体して、別個の作品として仕上げるパロディの話。いくつかの例をあげ、『ハムレット』と『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』などの話もする。
 それから「三つのお願い」という物語のパターンと、その構造、おもしろさ、などを説明し、そのあと、そのパロディともいえる、ジェイコブズの「猿の手」(『恐怖』・赤木かん子編・ポプラ社)を印刷したものを配り、なんでもいいから書け、という課題を出す。4、50分で、短編を読んで、作文するという、この難題に取り組んだ学生およそ50人弱。まあ、ろくなものはできてこないだろうとたかをくくっていたら、なんと、おもしろい!
 というわけで、そのなかから秀作をいくつか選んで、載せることにした。まあ、限られた時間内で書きなぐったものばかりなので、細かい間違いや不注意や誤字脱字はしょうがないし、未完のものもある。が、まずはご一読を。
 最近の学生、あなどるべからずである。これを読んでもまだ、若者の「国語力の低下」とか言う人がいるだろうか。9人に1人がこのような作品を短時間に書き上げるのである。

(注)まず、「猿の手」を読んでから、次の作品を読んでほしい。



社会学部 社会学科 1年(KN)

 私たちは遭難していた。恋人の理子と一緒にピクニック気分で登った雪山で遭難していた。
 外では吹雪が吹き荒れる。現在、私たちはほら穴の中にいて、なんとか吹雪をしのいでいるが、いつここが埋まってもおかしくはない。それにピクニック気分で来てしまったので、十分な装備がない。そう、特に食料。食料は最後の一つを半分こして、さっき、食べてしまった。そして吹雪が気配もない。ケイタイはもちろん使えない。絶望的な状況であった。
「とにかく、なんとかして食べ物を見つけましょう。」理子が言った。
 私には彼女が冗談を言っているのかと思った。
「こんな小さなほら穴でどうやって。外には行けないし、リュックには何もない。それにこの穴の中には何もないことは明らかじゃないか。」
 私は言い返す。理子はそんな私に対し、ため息をついて、黙って、一人で辺りを探しはじめた。
 一時間後、黙々と作業を続けていた理子が声をあげる。
「これは何?」
 理子の手に何か茶色い干物のようなものが見える。近づいてみると、それは一本の棒に五本の枝のついたもの‥‥単刀直入に言うとそれは何かの手であった。手のミイラ‥‥何かの手、手、どこかで見たような‥‥聞いたような‥‥。
「これたべられるかなあ。美味そうだよ。それにしても何の手かな。どっかで食べた気がするんだけど‥‥ああっ!これは猿だ。」
 理子は言った。ゲテモノ好きの彼女らしい台詞。おい、おい、こんなもん食うのかよ。猿の手なんて、私は死んでも食いたくない‥‥猿!猿だって!そうかこれは猿の手か。もしかすると‥‥。
 早速、包丁で猿の手を食べやすい大きさに加工しようとしている彼女を私はとめる。
「おい、それを切るな!」
「なんで、食べなきゃ死んじゃうよ。ああ、さては、私の食べ物を奪おうとしてるな。」と彼女。これは説明しないといけないなと思い私はW・W・ジェイコブズの『猿の手』という短編の概要を聞かせる。
 彼女は得心した様子で言った。
「そう、3つの願いがかなえられるのね。」
「そうなの。だからダメ元で何か願ってみて。」
 わかった、と言うと同時に彼女は一気に一つの願いを言葉にした。
「食べ物が欲しい。」
 するとどうだろう、私の意識が急に遠くなった。
 なぜ?消えゆく意識の中で考える。かすみゆく視界の中に何か期待している彼女の姿を見つけると得心がいった。私は彼女に食われるんだと。彼女はあと二つ何を願うんだろうか。願わくば私を生き返らせたりしませんように。多分、ないと思いますが。


社会学部 社会学科 4年(SD)

 ハ−バードは、家の玄関を飛び出し、「モー&メギンズ社」に向かう途中、昨夜の猿の手のことを思い出していた。
 父さんも母さんも、冗談めいて言っていたけれど、やはりどこかで200ポンドは欲しいだろう。本当に猿の手が願いを叶えてくれるなんて、信じていないけれど、この苦しい生活から抜け出したいと思っているに違いない。
 ハーバードが道を歩きながら、そんなことを考えていると、後ろから肩をたたかれた。
「おはよう、ハーバード」
 同僚のスミスだった。
「やぁ、スミス。おはよう」
 ハーバードは猿の手のことを頭の隅に追いやった。
 2人は、今日は天気がいいな、などというとりとめのない話をしながら会社へ向かう。
「‥‥でさ、聞いたか、あの話」
 ハーバードには、わからなかった。
「リチャードのことだよ」
 リチャード? そういえばそんな男がいたかもしれない。
 あまり口をきいたことのない、印象の薄い男だった。顔もよく覚えていない。
「リチャードがどうかしたのか?」
「死んだんだって」
「死んだ。それで?」
 この時代に死ぬことなんて珍しくない。
「それがさ、一昨日、半日くらい工場が停止して休みになっただろう」
 そのことは覚えている。仕事が半日で終わり、久しぶりの休日だった。
「‥‥リチャード、機械に巻き込まれて死んだんだ。でさ、会社から払われた見舞金、いくらだと思う?」
 ハーバードは、ピタリと足をとめる。
「いくら、‥‥だったの?」
「200ポンド。いいよなー、死んで200ポンドだぜ‥‥」
 その後のスミスの声は遠かった。
 200ポンド。猿の手に願った全額。それだけあれば、借金が返せて、暮らしぶりがよくなる。父さんも母さんも楽になる。200ポンドさえあれば。
 *
 ゴトゴトと機械のうごめく音がする。ガタガタと、目の前でプレスされる鉄板。
 ハーバードはそれを見ていた。加熱した機械は白い蒸気を上げる。蒸気の向こう側に、あの猿の顔が見えた。猿。200ポンド。ハーバードは猿に手をのばした。


社会学部 社会学科 1年(AH)

 猿の手、それは私にとって一番欲しくて一番欲しくないものかもしれない。願い事は数え切れないほどある。3つじゃとても足りない。でもそれを叶えてしまったら生きている意味があるのだろうか? 私は人間は自分の願いを叶えるために生きているものだと思っている。願いを叶えるために、壁にぶちあったり、人とのつながりを感じられるのではないだろうか。しかし、無性に願いを叶えて欲しい時もある。ハーバードのように、お金が欲しくなる時もあるし、ささいなこと、たとえばきれいになりたい、やせたい、のように努力すればできることを叶えて欲しい時もある。簡単に願いを叶えてしまうと、失うものも大きいのかもしれない。ホワイト氏はお金のかわりに大切な息子を失った。失ったものはどうやってももう戻って来ないのに、それを求める夫人。願いを叶えたばかりに、大切なものを失い、自分までも見失うことになったら、それこそ生きている意味がない。結局のところ、ホワイト氏は3つ目の願いで今まで通りの普通の生活を望んだ。そこにハーバードはいるのか? 最後の文章ではいないような感じだったが、ホワイト氏が前の生活を望む願いを叫んだのなら、私はチェスをやっている時の生活に戻るのではないか、とも思う。200ポンドが手に入った時、ハーバードの死は、本当に猿の手が招いたのか、もう運命として定められていたのか。そもそもホワイト氏はどんな願いを言って、もとに戻したのだろう? 一体ホワイト氏は何にそこまで怯えていたのだろう? 願いが叶ったからなのか、息子が生き返ったからなのか‥‥私はホワイト氏は猿の手自体に怯えていたわけではなく、死んだ人が生き返る、というありえない出来事に怯えていたのではないだろうかと思う。
 人間は動物とは違い、高度な知識があり、考えることができる。それが故に、自己中になったりもする。猿の手があったら、この世界はどうなるのだろう?
 全ての人が幸せになれるとは思わないが、たいていの人は幸せになれるのかもしれない。だが、ホワイト氏のように、絶望的な結果になることもまぬがれない。願い事、それは誰もが皆持っているものであり、叶えたいものだが、叶え方で人生が変わってくる、ある意味とてもおそろしいものなのかもしれない。


社会学部 社会学科 1年(KT)

 猿の手の感想:「三つの願いごと」という意味がやっとわかった気がした。
 誰でも自分の思い通りになればうれしいことはない。けれどその分何か失ってしまう。1つずつ叶えるごとに自分では変えてはいけないものに気がつかず、たった200ポンドでかけがいのない息子が死んでしまった。さらに今度は元に戻そうと必死になり、息子を生き返らせようとする。もしかしたら、ドアを開けると、何ともないいつものように、「ただいま」と笑顔で言ってくれる息子が現れるかもしれない。けれどホワイト氏はそうとは考えなかった。死んだ者はすでにもう「ハーバード」ではない。たとえ、何ともなくてもホワイト氏はきっと気が狂っていたと思う。この話は、“運命は変えられない”と行者が言っていたように、息子はその日に死に同時に200ポンドもらえただけのことであって、決して「願いが叶った」わけではない。ホワイト氏はどこかでそう信じていた。だがラストの家のドアをノックする音を聴いて青ざめる。夫人は歓喜で下に降りていきドアを開けようとする。だが開かない。この時、ホワイト氏は最後の願いを言う。果たして何と言って元に戻したのか?「もう一度、息子を殺してくれ!!」と私は言ったと考えている。もし、「すべて元に戻してくれ!」と言えば、200ポンドはなく、息子も生き返っているはず。だが、その描写はラストにはない。ただ発狂しかけている夫人がうなだれ、ドアの向こうには何も変わらないいつもの街頭が照らされているだけ。それにホワイト氏は、猿の手よりも、生き返ったかもしれない息子のほうに怯えてしまっていた。そう考えると、実の息子であったはずだが、もう別の怪物と感じているドアの向こうの生物を殺してしまったほうが、今の自分の恐怖をやわらげてくれるのではないか‥‥。この危機的状況にホワイト氏がこのように考えたかどうかは分からないが、もし、私であったら、そう感じ、とっさの言葉としてこう言ってしまうと思う。人間は欲深く、勝手だ。とにかく自分の思い通りにしたく試行錯誤を繰り返す。その究極が、この猿の手ではないか。この猿の手は、人間の能力以上の欲深さや、変えられない運命への絶望。私は絶望と今書いてしまったが、“この話”の場合であり、見る人によっては(猿の手に呪文をかけた行者など)、この運命は、絶望ではなく、ごく当たり前のことだ。と何も感じない人もいるかもしれない。猿の手は人によって使い道はさまざまだ。けれど運命もまた人それぞれで、猿の手は、運命そのものをうつしだしていると思った。


現代福祉学部 現代福祉学科 2年(YM)

 冷たい工場の中に居た。ぼくは何をしていたんだろう。外を見ると月がかなり高い位置にあるのがわかった。何故、こんなところにいるのだろう。とりあえず、家に帰らなくては。外に続くドアを開けて足を一歩踏み出すと、身体の関節がぎしりと不気味な音を立てた。身体が重い。家までは約3kmの道のりだ。家に帰ると父さんも母さんも寝てしまっているだろう。家の鍵は閉まっているかな。そうだったらどうしようか。そんなことを考えながら、歩く道は閑散としていた。いつも通る道なのに、今日はなんだか知らない道のように思える。とても長い間歩いたような気がしたけど、本当はそうでもなかったのかもしれない。家が見えた時、予想通り真っ暗だった。玄関のドアに触れてもビクともしない。やっぱり、もう眠ってしまっているんだ。困ったな、どうしよう。外の寒さはぼくの骨の髄まで冷やしてしまっていた。もう耐えられない。最初は小さくノックしてみた。1回、2回。返事はない。やっぱり聞こえないのか。もう少し大きな音でノックしてみようか。1回、2回。おかしい。いくらなんでもこれくらいの音を出せば家のどこに居ても聞こえるはずだ。急に不安になった。昔、父さんと母さんと街に出かけて迷子になった時のような。もう見つけてもらえず、1人で生きていかなくてはいけないのかと思うような不安だ。嫌だ。ドアを叩いた。ノックではない。叩き続けた。手の皮がむけ、血がにじんだ。母さんの声が聞こえる。はやく、はやく、開けてくれ。目が渇いて痛い。身体が何かに刺されたように痛い。でも何かに支配されたように身体は動く。突然、手が取れた。手の肉が落ち、骨だけが見えた。右手の骨の向こうに見えたもの。それはドアを開けてくれた母さんじゃない。――暖かさも冷たさも含んだ「光」だった。 End.
 猿の手の話は聞いたことはあった。けれど、こんなホラーな話だとは知らなかった。けれど、こういう話は好きなので、また機会があれば読んでみたいと思う。ホワイト氏の3番目の願いは何だったのだろう。「息子を消してください」「2番目のお願いは無かったことにして下さい」「息子を天国に行かせてやって下さい」様々な考えが頭をよぎるけれど、本当のところは分からない。息子はどんな気持ちで家に行ったのだろう。ドアを叩いていたのが息子のハーバードならば。死んだときのままの姿だっただろうか、それとも元気な姿だったのだろうか。考えていて何だか悲しくなった。


社会学部 社会学科 1年(SS)

 それは不幸な事故であった。彼は工場の機械に挟まれて死んだ。別に彼が不始末をしでかしたわけではない。この時代ではごく日常的なことだった。それは彼も彼の両親も重々わかっていたことだった。もっともそれは家族で談笑するときの他愛ない会話の中で行われたものであり、決して彼や彼の両親が直接その状況におかれ分かったものではない。
 彼は己の死の瞬間、あることを悟った。猿の手によって願いは叶う。それもごく自然な形で。ああ、きっとこれで両親は二百ポンドが手に入るのだろう。それきり彼の意識はなくなった。
 それからしばらくの後である。彼は暗い棺の中で目を覚ました。直後に自分が棺の中に居ると悟らなかったが、意識がはっきりするにつれ、死の直前の記憶がよみがえり、それを悟ることができた。彼は猛烈な空腹を覚えた。考えてみればあの事故は昼飯前だったな。彼は空腹をこらえながら棺を開けようとした。だが、よく考えれば、土の中だと気づいた。彼は力を込めて棺を殴りつけ、穴を開けた。そこから土を掘り、時間はかかったが地上に出ることができた。ツメがはげていたが痛みはなかった。血もでなかった。彼は空腹にさいなまれながら家に向かって歩き出した。体は鉛のごとく重い。それでも彼は自宅に向かって歩き続けた。父や母が待っている。それ以上に空腹を満たしたい。彼はようやく家にたどり着いた。すでに明かりは消え、静けさだけが残っていた。彼はそこで妙な音に気づいた。ヒューヒューという音が近くからするのだ。風は無い。より耳を澄ませると、どうやら自分の体からでているらしいということが分かった。彼は自分の体を丹念に調べた。体のいたるところが朽ちている。喉に穴があいていた。どうやらそこから音が出ているらしい。なんとか穴を塞ごうとしたができなかった。彼は諦めてドアを叩いた。最初は小さく叩いた。コンコンと音がしたが、誰も出てこない。次は少し大きく叩いた。家の中は静まりかえっている。さらに大きく叩くと、家の中がとたんに騒がしくなった。ドタドタという音がし、ドアの閂が外れる音がした。彼はドアを開けようとした。開かない。さらにドアを叩く。その音は今にもドアを打ち破らんほどのものであった。イスを引きずる音がした。いよいよメシにありつける。いっぱい食べてこの体を治そう。彼は待ちきれなかった。閂が外れた音がする。やっとだ。彼は力いっぱいドアを開けようとした。そこで彼の意識はぷっつりと途切れた。機械に挟まれた時より、もっと突然の出来事だった。


社会学部 メディア社会学部 2年(YK)

 とある港町の家で、猿の手を孫の手として使っていたおじいさんがいた。毎回背中がかゆいと思ってかくたびに背中にひっかき傷ができ、シャツが血で染まっていた。みかねた彼の子供が木の普通の孫の手を買ってきてプレゼントするが、あの猿の手の質感にはかなわないと、どうでもよいこだわりで、かゆくなっては血を流し、かさぶたになってまたかゆくなるという循環運動をしていた。そんなある日おじいさんは、ふとした時に、いいかげん背中がかゆくならなければいいなぁと猿の手で背中をかきながら言った。すると猿の手はカエルの足のような動きをして、おじいさんの手から離れていった。昨日の奇妙な猿の手の動きが、おじいさんの頭の中から離れなかった。もう4年くらい使っているけど、あんなことはなかった。今日も寒い。いつものようにストーブに背を向けて暖まっていると、上に乗っかっていたやかんがおじいさんの背中におっこちてきた。おじいさんは背中の感覚がなくなり背中がかゆくなることはなくなった。背中がかゆくなることがなくなったので、猿の手を使うことはなかった。猿の手はその辺にただ置かれていた。そんなある日、机と壁の間に物が落ちた。どうも自分の腕が入る広さではないし、どうしようかと迷っていると猿の手発見、これなら届くであろうと挑戦してみるが、おしい感じ。猿の手がほこりにまみれてきた。かりかりかりかりしているうちに、猿の手……


 copyright © 2006 Mizuhito Kanehara

 last updated 2006/5/21