人文特講(創作表現論) 2006/5/22 「美しい水死人」

今回はガルシア・マルケスの「美しい水死人」。ぼくの大好きな短編であり、また妹の最も愛していた短編でもある。
ただ、おちのある話でもなければ、なにも起こらない話でもあって、これがいまの学生にどのように受け取られるか、とても不安だった。ところが、非常によく読んでくれて、なかなか手応えのある短編や感想が返ってきた。
おとぎ話風のもの、SFっぽいもの、いろいろあるが、どれもそれぞれによく書けている。数十分でこれだけ書ければ、文句はない。



社会学部 社会学科 1年(YS)

『エステーバンの恩返し』
「エステーバンが帰ってきたよ!」エステーバンを海に流して3カ月後、浜にいた少年が大柄な水死体を見つけた。初めに見つけた時のように、エステーバンと思われる死体には、海藻やクラゲの触手、小魚やうろこのような固い殻にびっしり覆われていた。ぱっと見ではエステーバンだと判断はできない様子だったが、水死体の大きさから言って、エステーバンとしか考えられなかった。村の人たちは少年からエステーバンと思われる水死体が浜についたということを聞き目を輝かせた。中にはよその村まで一報を届けに行く女もいた。 多くの人が浜辺に集まりエステーバンを村まで運ぶという光栄な任務を引き受けたがった。選ばれた6人の男がエステーバンを運び、集まった多くの人が羨ましそうにそれに続いた。
村は一変していた。思い出の中に生きるエステーバンの為と、エステーバンが頭をぶつけないようにどこの家の戸も大きくなっていたし、天井も高く、床もがっしりとして作られていた。まさか本当にエステーバンが再びやって来るとは思っていなかったが、家はエステーバンを快く迎え入れた。
村人たちがエステーバンの顔を覆っているものを取り除くと、確かにあの美しく、恥じらいのあるエステーバンの顔が現れた。村人はしばらくはほうっとエステーバンの顔に見惚れていたが、徐々に体の方にも取りかかり始めた。黒い海藻を取り払い、次にうろこのような固い殻を取り除いた時、「あれ?何か光っているぞ」とエステーバンの身体をきれいにしていた男の一人がつぶやいた。エステーバンをよく見ると、たくさんの見たこともないようなきれいな物をあちこちに身につけていることが分かった。腕には金色に輝く輪。首には白く淡く輝く玉のくさり。金色のきらびやかな固い服のようなものを身にまとい、足にも腕にもつけている物よりも太い輪が何回もつけられていた。年取った女が「これは金とか真珠とかいうとても高価なものじゃ。」と声をあげた。


社会学部 メディア社会学科 1年(KS)

『美しい彗星人』
 その日は何十年かに一度のハレー彗星が地球に大接近する日だった。某有名大学、天体観測サークルの人々は彗星がカケラを落としたことを見逃さなかった。そんカケラ、小さな隕石は、近くの浜辺に落ちた。部員たちが隕石のまわりについている砂やごみ屑などを取り除いてみると、下から彗星人が現れた。部員たちはしばらくの間息のない彗星人を砂に埋めたり、掘り起こしたりして、遊んでいたが、ジュースを買いに行って戻ってきた部長があわてて、大学に帰り、天体を研究している教授に知らせた。人間の形には似ているが、改めて、その物体が宇宙人だということはすぐに分かった。
 体を洗い清め、改めて彗星人を見直した天体観測サークルの女子部員は思わずはっと息を呑んだ。これまでに見かけたどの男よりも背がひょろ長くて堂々たる体躯をしており、見るからに凛々しく逞しかったのだ。その彗星人を前にして、女たちは夢を見ているのではないかとわが目を疑った。巨大な体躯の彗星人に心を奪われた女たちは、とりあえず彗星人に服を着せようと、麻布でズボンとワイシャツを縫ってやることにした。車座になって座り、針仕事を始めたが、一針ごとに彗星人に目をやった。足が八本あるということで、ズボンは大変だったが、ほぼ徹夜で三日で仕上げた。女たちが見とれていると、冷静な四年の女が呟いた。「顔を見るとコメットバンという名前じゃないかって気がするね。」確かにその女の言うとおりだった。彗星人の顔に目をやった女たちは、その通りだと思った。
 借金をしていた教授は、返済をするため、彗星人を博物館へ売った。
 女たちはそれを聞き、涙はこらえていたが悲しそうに溜息をつき、つまづいたりよろめいたりしながら、部屋をうろうろ歩き回っていた。男たちはたまりかねて、この彗星人は偶然空から降ってきた、どこの馬の骨とも分からん宇宙人だ、そんな奴のために、どうしてバカ騒ぎをするんだ、と怒鳴った。しかし、横目でちらっと彗星人をのぞいた男は、その顔に見とれた。
 みんなに惜しまれて、博物館へ移動するそのトラックの中、彗星人はあとかたもなく消えてなくなった。


現代福祉学科(TM)

 これを読むと昨年あたりに話題になったピアノマンとかを思い浮かべる。あの話は結局彼が演技をしていただけだった。でもそういうオチがあると思って、この話を読んでみると、ずいぶん何もない終わり方だなと思った。しかし、その程度のことで村が変わってしまうような大事件に発展するあたり、何にも知らない原始的な人たちだなぁ、という思いにはなる。カリブ海の島というのだから、あっという間にヨーロッパに侵食されちゃった人たちだ。そんな彼らの気楽な様子を皮肉ったのかな、というか、この話はヨーロッパに侵食される前の彼らの最後の気楽な生活を描いたものなのか?とも読める。だとしたら、あの水死体は死体のふりをしていたわけではなく、本当に死体で物言わぬこの島の運命の教示者だったのだろう。で、おそらく彼はヨーロッパから流れ着いた。優しい人だったので、気性の荒いヨーロッパ人に殺され、海に捨てられ、あわれな姿でたどり着いた先が、この優しい人たちの住むカリブ海の島だったというわけか、と思う。この島の運命というのは、この男のような優しい人たちが今後相互交流を求めてやって来るということではなく、その島民の優しさが仇となって、侵略されてしまうよ、という、ただそれだけの現実を如実に表している人だろうなぁと思った。ところで女たちの想像していた、「優しいだけで図体がでかくて、恥ずかしがり屋の男」というのが、やはり女には人気があるのだろうかと思ってびっくりした。男の自分だったらそんな奴に憧れないのに。自分が水死体となって流れ着いたら、ムスっとした顔のままで、みんなに恐がられて捨てられるかも。


社会学部 社会学科 1年(KN)

 村のある農夫の子どもは夢を見ていた。それはあの水死体エステーバンの夢。夢の中で子どもは他の大勢の友達と一緒に村の狭い土地で彼と遊んでいた。エステーバンは子ども達にとても優しかった。色んな遊びをたくさん知っていたし、大きく口を開け、白い歯を出し、豪快に笑う彼を見ると元気が出た。それにエステーバンは他の大人たちみたいに子ども達を邪険にしなかった。対等に見てくれた。みんな彼が大好きだった。エステーバンと釣りをし、石蹴りをし、時に大人がやるようなかけごとも彼に教えてもらってやった。とても楽しい、楽しすぎて、倒れてしまうくらいだ‥‥。
 目が覚める。子どもは目覚めた瞬間、とてつもない喪失感を感じた。何かとても楽しいことがあったのに、奪われてしまった。だけれどそれが何だか分からない。それは誰かと遊んだ夢だった気がする。でも夢の中で誰と遊んだか思い出せない。村の人間ではないことだけは分かるけど‥‥。じれったい。そして悲しい。なぜか陰鬱な気分で、寝床を出た子どもだった。
 いつものように、友達を訪って、広場で遊ぼうと思った。しかし、なぜか海の方へ子どもの足は向かっていた。こっちに何があるんだ、あそこにはゴミくらいしか流れ着かないじゃないか。子どもは思った。しかし、虫の知らせというか、予感というか、そういったものが足を動かす。近づくにつれ期待は高まっていった。海に着くと、いつもは広場にいる友達がなぜかみんな集まっていた。
「ジェームズ、なんでみんなここいんの?」と子どもは聞く。
「分からない、なんかいい事がある気がしてここに来た。」
みんな、何でここに着たんだろう。と、前を見ると、海を指差している子どもがいた。なんだろう アレ。みんな注目する。それは色んなゴミに漂れた黒い漂流物だった。いつものように鯨か何かだろうと子どもは頭で考えた。しかし、心の中ではとてもワクワクしていた。何かいいものが手に入った、素晴らしい友達ができた予感。そんな予感が彼の心、いや、その子どもだけでなく、子ども達の心の中を占めていたのだった。


社会学部 社会学科 3年(NM)

 たった一つの出会いがその周りにいる人全てを動かす。人生の中でそんな経験をすることは案外多いのではないか。
 だが死体が、村、いや村の外の人まで変えたとなるとそうはないのではないか。皆、知っての通り死体は動かない、しゃべれない。しかし、それにも関わらず、村人の生き方を変えた。全く、すごいの一言に尽きる。彼の姿にはそれだけ訴えるものがあったからである。おそらく生前の彼はやはり皆からすかれていたのだろう。
 もう一方の見方をすると、村人こそが変化の主役であると考えることができる。彼はどうみても水死体だ。それ以上でもそれ以下でもない。美しいという優れた外見があるだけだ。その『彼』にまつわるストーリーを作り出し、村全体や周辺を変化させたのは村人たち本人である。「彼」というきっかけはあったにしろ変化したのは村人自体である。彼らは自らのストーリーによって変化したのだ。それは、もはや驚くべき事であり、ありふれた事なのではないだろうか。


(SS)

 その日は快晴で波も静かだった。村の子ども達は砂浜で海賊ごっこに興じていたが、ふと入り江に何かとてつもなく大きなモノが打ち上げられているのを見つけた。子ども達がその物体についたゴミやらワカメやらを棒でつついて落としてみると、それは水死体だった。子ども達は水死体を囲んではしゃぎまわっていたが、通りかかった村の大人がそれを見て驚き、すぐ村人たちの手で水死体はひきあげられ、村に運ばれた。水死体を囲んで村人たちは驚くばかりだった。それはとてつもなく大きく、太っていて、さらにその顔は今まで見たどんな顔より醜かったのだ。その目は閉じていたが、生前は周囲を横目で伺っていたのだろうと思われる卑屈な目で、鼻は不恰好で顔の中心からズレた位置にあり、口元は片方の口角が死んでなお人をバカにしているかのように上に上がっていた。村人たちはてんでに水死人を見て顔を歪め、こいつは生前ろくなことをしていないだろうと囁きあった。村人たちは皆こんな醜い人間(水死体)はこのまま海に放り込んでしまえばいいんじゃないかと、それぞれ心の中で思っていたが、口に出してそう言うと非情な人間と思われそうで嫌だったので、結局誰も水死人を清めて葬式をしてやることに反対しなかった。が、正直なところ皆いやいやだった。男たちは近隣の村に行方不明の男がいないかを一応聞きに行き(正直男たちはあの水死人がいなくなっていたとしても誰も探さないだろうと思っていたが)、女たちは溜息をつきながら死体をキレイにし始めた。死体についた泥やら海藻やらを落とし、顔を拭き、髪を洗っている内に、女たちはふっと自分が今それ程この水死体を清めることを嫌がっていないことに気づいた。死体は確かに直視したくもないような醜さだったが、その死体からは死してなお、何かほっとするような気配があった。そうそれは例えて言うならぽかぽかとした春のあの日の光の暖かさのような気配だった。


社会学部 メディア社会学科 1年(AT)

 小さな狭い村にある老夫婦が住んでいた。二人は生活を始めてから長い年月が経っていたが、子供を授かることができず、二人でこの狭い村に寂しく生活していた。何年経っても老婆は子供を諦めることができなかった。心優しい夫の存在は、とても大切なものであったが、だからこそ夫との間に子供が欲しくてしかたなかった。
 ある時、隣の村の若者が家を訪ねてきた時、今、隣の村に旅途中の僧がいるという話を聞く。その若者の話では、その僧は不思議な治癒力を持っていて隣の村の不治の病の少年を元気にさせたらしいのだった。老婆は諦めることのできない二人の間の子供を僧に相談したいと思い、隣の村を訪ねた。僧はチベットの山奥からやってきたらしい、顔のきれいな中年の僧だった。老婆はさっそく、子供の事を僧に相談すると、僧は毎日海に向かい祈ることを条件に子供を老婆のお腹に妊娠させることを約束した。老婆は約束を守り、一ヵ月後老婆のお腹は子供がいるように膨らんだ。そして半年後、老婆は二人の男の子を出産した。一人は生後一ヶ月してから身長が1mある男の子、一人は生後一ヶ月してから体重が10kgある縦か横に大きい双子を出産した。老婆は二人に「エステ」と「バン」という名前をつけた。


現代福祉学部 現代福祉学科 2年(KW)

 水死体がその村にたどり着いた夜、クレアの母は家を留守にしていた。例の水死体の様子を見に出かけたのだった。父は、行方不明者を確認するために近くの村を回りに行った。
 その夜、クレアは家で一人ぼっちだった。バラック小屋を吹き飛ばしてしまいそうなほど、風は激しく吹き荒れていた。クレアは荒れ騒ぐカリブ海の波の音を聞きながら、今日の昼の出来事を思い出していた。
 友達のジャックと浜で遊んでいた時のことだ。二人はとてつもなく大きな漂流物を発見した。ジャックは面白がって、他の男の子たちとその漂流物で遊んでいたが、クレアは恐怖のあまりにその場を離れようとした。
「ジャック‥‥私、帰るよ」
クレアの小さな声は、男の子たちの笑い声にかき消えていった。
 彼らの元を離れて、しばらく浜辺を歩いていたクレアは、一人の少女に出会った。一目見て、この村の子どもではないなと思った。少女は両手で顔を覆い、シクシクと泣いていた。
「どうしたの?」と、クレアが声をかけると、少女は泣きながら答えた。
「私の大切な人が帰って来ないの。このままじゃ誰かに連れて行かれちゃう。そんなのイヤよ!」
 彼女のぬれた目を見て、クレアは息を呑んだ。少女の瞳はまるでこのカリブ海のように青く、じっと見つめているだけで吸い込まれてしまいそうだった。「その人、何ていう名前なの?みんなに聞いて探してみようよ」
 少女はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「エステーバン」
 やっぱりこの村の人じゃないのかぁ、と、クレアは心の中で呟いた。
「私のエステーバンを返して!」

少女は泣き続けた。クレアは彼女が落ち着くまで隣に座っていた。やがてだんだんと瞼が重くなり、クレアは眠ってしまった。
 目が覚めた時、隣の少女は消えていた。代わりに黒い雲が空を包み、カリブの海が泣き出していた。家に帰った後、クレアは母に言った。
「あの水死人さんって、エステーバンじゃないかな?」  END


社会学部 社会学科 1年(NK)

 「美しい水死人」というタイトルにまず驚いた。死んでいるのに美しいというのは想像できないし、普通死体は気味が悪いとか、汚いといったイメージだと思う。見ず知らずの人なら特にそう思うはずだ。
 しかし、この水死体が流れ着いた村では子供が死体で遊んでいる。文化の違いなのか、思想の違いなのか、文を読んでいて頭から衝撃が大きい。死体の処理の仕方も、海へ投げ込むというユニークなものだった。そんな環境で育った子供たちだったからこそ死体への恐怖心がなかったのだろう。
 また、女たちが死体に憧れのような感情を持ち始める場面は面白かった。見ず知らずの水死体だが、自分たちの村の男よりも、全てが優れているらしく、服は手作りし、花まで摘みに行っている。この人なら‥‥なんて妄想するのも恋心に近いからなのだろうか。結局は男も含め村の人全体が見ず知らずの水死体のために、必死になって良くしていた。「エステーバン」なんて名前も付ける程だった。まるで村に来た客の様な優しい扱い方だ。
 こう見ると、実はエステーバンはふらっと現れた客人で、たまたま死んでしまっていただけかもしれない。何日かその村で過ごすうちに口はきけなくても村人たちと仲良くなってもと来た海へ帰っていったのだ。
 初めは死体をどう処理するかということだけしか考えていなかったが、村人たちはエステーバンのおかげで全体でまとまり始め、最後は団結した。
 始めと最後の印象が変わる面白い小説だった。


現代福祉学部 現代福祉学科 3年(TS)

 エステーバンは海を見ていた。カリブの日差しは刺すように暑く、船の甲板で時を過ごしている者は、ごく一部の水兵たちだけだった。「やい、エステーバン」屈強な筋肉をもってして、酢漬けイカの入ったタルを運んでいた一人が言った。「おまえ、こんな日に突っ立ってたら、こんがり焼けたハムになるぞ」それでもエステーバンは、水兵たちの働くテリトリーからは外れた木箱の上に(その木箱には鋼鉄の止め具がふんだんに使われ、彼の下でも潰れる心配はなかった)座ったまま、恐ろしい程澄みきった海に波が立つのを幾日も眺めていた。この船客が、一体どのような経緯でこの船に乗り込んだのか、はっきりと知っている者は、下っ端の水兵たちにはいなかった。ある夜寄港した小さな町で大量の移民がこの船の一時の住人となったのだが、その中にエステーバンがおり、その時からこの木箱を占領し続けているのだ。夜、つかの間の休息を得る海の男たちは酒の席でエステーバンを話題にすることもあった。「あの体がありゃあ俺らの仕事なんて軽いもんだぜ」「次のしけの時にゃ、あいつにマストを支えてもらおうか。もちろん俺達ゃ船室で見物よ」が、アルコールが手伝う陽気さは次の言葉にわずかながらなりをひそめた。「だがな‥‥、あいつの目ん玉を見たか?」エステーバンの目は、彼の見つめ続ける海のように透明だった。ほんの少し、青みがかったその様は、太陽にいぶされた真珠のようであったし、生気を吸われた死人の目を思わせるようでもあった。その目が、自らをうつす時、彼らは心の奥底で寒々としたものを感じ、一瞬、この男は生きているのだろうかとオカルトじみた問いを浮かべた。エステーバンの目を話題に出した者は、両隣の男達に乱暴に小突かれ、残りの者は確実に不味くなった酒をあおってその夜はふけた。
 ある日、木箱の上にエステーバンの姿がない事に水兵の一人が気づいた。早朝、


社会学部 メディア社会学科 4年(HT)

 普通に冷静に考えたら、大げさすぎると思う。それこそたかが一人の水死人に対し、これだけ騒ぐのかと。しかし、読んでいてさほどそのあたりの違和感を感じなかった。むしろ、私もこのエステーバンを見てみたいとさえ思った。それだけ、この男に対する描写がとても上手く、映像として浮かんでくるようだった。不思議な話だ。“水死人”が出てきて、それを中心に話が作られていて、こんな幸せな気持ちで終われる物語はそうそうないだろう。ある意味カルチャーショックを受けた。モノに対する固定概念を取り除けば、意外な話、面白い話がたくさん書けそうな、そんな可能性を感じた作品でした。ただ、パロディーもそうですが、そのアイディアをひらめく、たどり着くのが難しいのですが‥‥。


現代福祉学部 現代福祉学科 2年(YM)

 私は美しいものが好きだった。美しければ対象が物であれ人であれ、魚であれ鳥であれ、手に入れることができる。方法はいたって簡単で、私は歌うだけで良い。岩場で顔だけ水面から出して、海中で。そう、私は漁師たちが怖れている「セイレーン」と呼ばれる生き物。
 ある日、とても美しい人を見つけた。「欲しい」と思った。だから歌った。あの美しい人の耳に歌声が届くように、と思いを込めて。
 美しい人は私のものになった。嬉しかったから色々な場所を案内してあげた。私のお気に入りの入り江、珍しい色の小石がある浜辺、光の届かないくらい深い海の底。つまらなかった。美しい人はもう死んでしまっているから、何の反応も示してくれなかった。死んでしまっているから自分で泳ぐことはできない。私の瞳に美しい人は映るのに、彼の瞳は固く閉ざされたまま。様々な場所へ連れ回したせいで美しく着飾っていた服はボロボロだった。泥だらけになっていた。
 私はかっての美しい人から興味を失ったことに気づいた。私は美しいものが好きなのだから、彼はもう必要ない。潮の流れが速いところで彼の手を離した。あっという間に消えていった。ズタズタ、ボロボロの服を身にまとい、かって美しかったあの人はどこへ行くのだろうか。どこか流れ着いた先で、あの美しかった顔を、姿を、誰か他の女が見るのだろうか。ふと、そんな考えが私の脳裏をかすめた。しかしそれは一瞬のことだった。泳ぎだした時、私の頭には次の「美しいもの」のことしかなかったのだから。
 目の前を、色とりどりの花が流れていた。そして、私は甘く切ない声で歌う、今日も。            END


社会学部 社会学科 1年(AH)

 もうそろそろ帰ろう。そう思い、私は河原を後にした。さっき、彼にふられたばかりだった。どうしてふられたのか、それは謎だった。理由を聞くのもいやなので、私はとっさに逃げてきた。そしてこの河原で数時間ぼーっとしていた。一人寂しく歩いていると、子供たちが何かを砂に埋めているのが見えた。私は気になって近くに行ってみた。するとどうだろう。死体ではないか!! 私は驚いて、今まで生きてきてから出したことのない速度で村へ帰った。
「大変だぁー!! 子、子、子供が、あの!!  あ‥‥子供‥‥が!!」
あまりに早く走ったため、息が上がりすぎて、うまくしゃべれない・
「何なんだよ。」
村一番の力のある男が言った。まあ元カレだ。
「子供が水死体で遊んでるの。早くきて!!」
村の人たちは驚いて、皆河原に向かった。が、その現場を見てもっと驚いた。
「何だ、この大きさは‥‥」
水死体はとても大きく、村の家の中には入りそうにもなかった。私はもう一度間近で水死体を見た。まわりの女たちも皆興味があるのか、水死体に釘付けであった。男たちが近くの村に聞き込みに行っている間、私たちは水死体を洗ってやることにした。洗ってみるとこの男は顔立ちも凛々しく、村の男たちよりも全然イケていたのである。その男に私たちは「エステーバン」と名付け、死んでいるにも関わらず、手厚く世話をした。
「何でそんなことしてるんだ。海藻を取ってやるだけで充分だろ。いい加減にして、さっさと仕事しろ。」
と、私たちはどなられた。元カレである。私はふられたのに、どうしてまたどなられなきゃいけないのか、もう頭に来た。


社会学部 社会学科 1年(KT)

 最後には、ほぼ全員がエステーバンの親戚になり、家もリフォームして、エステーバンの思い出を形で表した。というところが恐らく一番感動するとこなのだろうが、ここで私は少しだけ違和感を感じてしまった。それは何だか分からないのですが、どうも不思議な感覚で、モヤモアしたものが残った。
 この話は死んだものと、生きているものの区別をしていないように思った。美しい水死人をまるで生きているかのように、保護する村人たちは、私には、不思議に感じた。私は死んだ人をまともに見ることができない。けれどこの人たちは、まともに向き合うどころか、どこぞの誰かも分からない死体の過去まで想像し、涙を流している。少し人間離れしているかな、と思った。
 批判ばかり書いていますが、話自体は本当に面白かったです。本当は上記に書いた、「本当は、美しい水死人は犯罪者だった」的なものを書こうと思いましたが、なんだかそんなこと書いちゃいけない位、村人たちが水死人を良い人だと思いこんでいて、書けませんでした。


社会学部 社会学科 1年(MK)

 ついに恋は叶わなかった。
 エステーバンは、甲板からもうすぐ登る朝日でゆれながら光っている海面を見ていた。不思議と恐怖はなく、穏やかな気持ちだった。彼女を慕う気持ちのあまり、ただ彼女の近くにいて彼女を守ってやりたくて、魔女に頼んで人間にしてもらった。父や母や兄弟たちは今頃どうしているだろう。いなくなって自分を探してくれているのだろうか。人魚の王子であった頃のことを、海面の下に広がる吸い込まれそうな濃い青を見ながら思い出した。そして少し寂しく笑った。しかし、彼の顔には後悔の色は見えなかった。彼女には、分かってはもらえなかったが、彼女の側にいられた身近い間、自分なりに彼女にしてあげられたことがあっただろうし、この気持ちは少しだけでも通じたはずだ。
 ため息をつき、光り始めた水平線を見て、エステーバンはもう一度彼女の部屋へ行った。彼女の寝顔はとても幸せに満ちていた。それを見て、エステーバンは今までで一番美しい笑顔を彼女に向けて、結婚祝いの貝の首飾りを、そっと枕元に置くと、走って甲板まで行き、海に飛び込んだ。エステーバンは大男であったが、不思議と水音は立たず、水に吸い込まれるように落ちてゆき、まわりに少し光の粉が散ったぐらいだった。しかし、魔女の話では、日の出とともに海の泡となってしまうはずだったが、彼は泡にはならなかった。彼の彼女を思う気持ちが光となって彼を包んだ。


 copyright © 2006 Mizuhito Kanehara

 last updated 2006/6/19