管理者:金原瑞人

Close Range―Wyoming Stories (1999)
By Annie Proulx,Scribner

目次
・ 皮をはがされた子ウシ
・ ぬかるみに落ちて
・ 職業遍歴
・ 鹿毛のウマ
・ 地獄にいる人間は一杯の水を欲しがる
・ 草原の果てに
・ 拍車
・ ロンリー・コースト
・ ワイオミングの知事たち
・ ガソリンスタンドまで55マイル
・ ブロークバック山

皮をはがされた子ウシ
 メロ・コーンは1913年にビッグホーン山脈の麓の牧場で生まれた。23歳のときに故郷を出て戦争へ行き、除隊後はボイラーとエアダクトの清掃事業で成功し、地方議員をつとめ、今はマサチューセッツのコロニアル様式の邸宅に住んでいる。結婚は二、三度したが今はひとりだ。今年で83歳になるが、体力には自信があった。
 ある日メロは甥の嫁ルイーズから、弟のロロがエミューに殺されたという電話をもらった。ロロは10年前にオーストラリア人に牧場を売り、そのオーストラリア人に頼まれて共同経営者となりエミューを飼って観光牧場にしていた。息子夫婦も一緒に働いていた。飛行機嫌いのメロは、マサチューセッツからワイオミングまで自分で車を運転していくから土曜の午後の葬式には間に合うだろうとルイーズに伝えた。
 メロは水曜日に電話付きの豪華なキャデラックに乗って、ワイオミング目指して出発した。車を運転しているうちに、まだ故郷にいたころのことが思い出された。セクシーで魅力たっぷりな父親のガールフレンド、彼女が話してくれたティン・ヘッドという男の話。
 木曜日の夜にはアイオワ州のモーテルに泊まり、翌朝早くコーヒーだけを飲んで出発した。寒い朝で雪がちらついていた。途中で道に迷い、挙げ句の果てに事故にあい、キャデラックが使えなくなってしまった。仕方なく中古のキャデラックを買って旅を続けた。
 土曜の朝にはワイオミング州に入った。食欲はなかったが、出発してから何も食べていないので、焦げた目玉焼きをむりやり胃に流し込んだ。シャイアンでルイーズに電話を入れると、牧場のあたりは風が強くて雪になりそうだと言われたが、かまわず出発した。
 北に向かうにつれて60年前と変わらぬ景色が広がっていった。どこまでも続く平原、うなる風、ネズミみたいなレイヨウ。メロはティン・ヘッドの話をはっきりと思い出した。

 昔ロッキー山脈の麓にティン・ヘッドという名の男が住んでいた。男の頭にはブリキが入っていた。男は小さな牧場でウマとウシを飼って子供と女房を養っていた。冬を越すために子ウシを一頭殺して保存食を作ることになり、男は斧で子ウシを殴り殺し、血を抜いてから皮をはぎ始めた。頭の後ろから始めて目と鼻の部分をはぎ、それから背中をはいだ。頭は切断せずにそのままにしておいた。胸や腹や腿の部分もはぎ終わり、あとは皮を切り取るだけだったが、やっかいなので先に夕食を取ることにし、大好物の舌だけを切り落としておいた。夕食から戻ると、子ウシの姿はなく舌だけが残されていた。近所の誰かが盗んだのかと思ったが、タイヤの後も足跡もない。遠くを見ると、子ウシが山の斜面を歩いている。子ウシが立ち止まりこちらを振り向いた。遠くからでも頭の部分の肉や肩の筋肉や舌のない空っぽの口や男を睨みつけている赤い目が見えた。そのときティン・ヘッドにはわかった。自分も女房も子供もここで血をなめている犬ももうじき死ぬことを。家も吹き飛ばされるか焼け落ちてしまうことを。

 牧場まで60マイルのところで雪が降り始めた。あと20マイルのところで見覚えのある道を曲がって牧場を目指したが、どうやら道をまちがえたようだ。細い道をバックしながら本道に戻ろうとしたところ、溝に後輪がはまって空回りし前にも後ろにもいかない。工具も自動車電話も置いてきたキャデラックの中だ。雪の降りしきるなか、メロは適当な石をさがしてタイヤの下にあてがったり、車のフロアマットを敷いたりしたがうまくいかない。アクセルを踏み続けているうちにタイヤから煙が出て、エンジンが止まってしまった。
 仕方なくメロは風に向かって歩き出した。本道までいけば車が通るだろう。やがて雪は止み、月が昇って荒涼とした自然が姿を現した。月を背にしてそびえる崖、草原に煙る雪、小川に沿って生えている死者の髪のようなヤナギ。2日間タマゴ以外食べていなかったので、空腹と喉の渇きでもうろうとしてきた。ふと気づくとウシが並んで歩いている。メロがゆっくり歩くとウシものろのろとついてくる。立ち止まって振り返ると、ウシも立ち止まって振り返り、頭を上げた。メロはまたまちがえていたことに気づいた。皮をはがされた子ウシは赤い目でずっと彼のことをみつめていたのだ。

ぬかるみに落ちて
ダイヤモンド・フェルツはちゃんとした格好をすればかなりハンサムだったが、身長が158センチしかなかったので「チビ」とか「ガキ」とか呼ばれ、まったく自分に自信が持てなかった。だが高校三年生のときにアルバイト先の牧場でロデオをやらせてもらったとき、ウシの背に規定の8秒間乗っていることができた。それ以来ロデオのとりこになり、高校を卒業すると母親の反対を押しきってカリフォルニアのロデオの学校に入学した。卒業してロデオ乗りになったが、いつも負けて文無しだった。
二年目になるといくらか勝てるようになり、お金も入ってくるようになった。しかし独立記念日のロデオで靭帯を切ってしまい、療養を兼ねて温泉の出る故郷へ戻った。母親はロデオの生活を止めさせようと、けがをして廃人のようになってしまった往年のロデオ乗りのところへダイヤモンドを連れていった。母親のやり方に腹を立てたダイヤモンドは再び家を飛び出し、ロデオの生活に戻った。それから彼の生活はすさんでいった。お金があってモーテルに泊まれるときはいつも女と寝た。「チビ」とばかにされて友人の女房をレイプしたこともあった。ロデオをしているときだけが生きている実感を味わえた。ダイヤモンドはもう23歳になっていた。

職業遍歴
 戦後まもなく小さな牧場で生まれた男が若くして結婚し、時代の変化に押し流されたり、不況に押しつぶされそうになりながら、ガソリンスタンドの店員、軍人、長距離トラックの運転手、食肉加工処理業など次から次へと職業を変えてどうにか家族を養っていく姿が描かれている。ラジオから聞こえてくるヴェトナム戦争、公民権運動、カルトの集団自殺、オゾン層の破壊などのニュースでそれぞれの時代がわかるような仕組みになっている。

鹿毛のウマ
 今から100年も前のこと。しゃれたブーツをはいたモンタナ出身の若いカウボーイが、ワイオミングは南にあるから暖かいだろうと軽装で旅に出たのが運の尽き。川の側で凍死してしまった。翌日、土地のカウボーイ三人が彼の死体を見つけた。そのなかのひとりダート・シーツはしゃれたブーツを猫ばばしようと脱がそうとしたが、凍っていてびくともしない。そこで猟刀で死体の向うずねを切断して脚ごとブーツをちょうだいした。
 その晩三人はグライス爺さんの丸太小屋に泊めてもらうことにした。爺さんは家のなかに鹿毛のウマを飼っていた。あいつは気性が激しいから気をつけてくれよとカウボーイたちに注意した。シーツは凍ったままのブーツをストーブの側に置いて寝た。夜明け前に目が覚めたシーツは、その日が母親の誕生日であることを思い出し祝電を打つことを思い立った。脚もブーツも解けていたので、シーツは死体の脚を抜いてしゃれたブーツをはき、残りのふたりをおいて先に出発した。モンタナのカウボーイの脚とシーツの古ぼけたブーツは床にむぞうさに置かれたままだった。
 グライス爺さんが夜明けとともに起きると、鹿毛のウマが人間の脚のようなものを蹴っている。眠っている人間を数えるとふたりしかいない。「鹿毛が食っちまったな」。爺さんは残りのふたりに金貨40ドルを渡して、このことは黙っていてくれと頼んだ。その晩ふたりは約束の小屋でシーツと落ち合った。もちろん金貨のことは黙っていた。

地獄にいる人間は一杯の水を欲しがる
 アイザック・ダンマイヤはカウボーイとして働いたお金を貯めて、ララミーに牧場を買った。50頭の牛は買ったり盗んだりして増やした。妻を毎年のように妊娠させ、九人の息子の父親となったが、妻は男と駆け落ちしてしまった。やがて息子たちはたくましい若者に成長し、よく働き、がまん強いことで有名だった。1930年代の不況も一家で乗り切った。
 一方ホルム・ティンズレーは牧場を持っていたが、いつも見通しが甘く、ウシ、ウマ、ヒツジと次から次へと飼っては失敗した。息子のラスはのろまで、16歳のときに家出し、25歳のときにニューヨークで交通事故にあい、怪物のような姿になって戻ってきた。ラスはウマに乗ってでかけては娘たちの前に現れておびえさせていたので、ダンマイヤ家の息子たちは見つけ次第ラスを刺すとホルムに警告した。ホルムがラスの体の異変に気づいたときはもう手後れだった。汚いナイフで刺されたのだろう。体じゅうが腐っていた。
 あれから60年たち、ダンマイヤ家の者は牧場を売り他の州へ移り、ティンズレイ家の者はこの土地のどこかで眠っている。自然の営みのなかでは人間の悲劇など取るに足らないことなのだ。
草原の果てに
 タッチー家の牧場は92歳になるレッド爺さんが始めたもので、今は息子夫婦のアラジンとワネタが経営している。夫婦にはタイラー、オッタリン、シャンの三人の子供がいた。タイラーはやることなすこと見当はずれで、19歳のときに父親とぶつかって家出した。シャンも高校を卒業するとラスベガスの会社に就職しさっさと家を出た。オッタリンは超デブで、妹より一年遅れて高校を卒業すると、家事の手伝いをしたが不器用で役に立たず、父親の牧場を手伝うようになった。牧場の仕事はオッタリンに向いていたが、話し相手になってくれる友人も姉妹もなく、オッタリンは孤独だった。
 ある日牧場の隅に放置されたいるトラクターがオッタリンに話しかけてきた。何年か前に牧場で働いていた人がこのトラクターの事故で死んだので、その男の霊が話しかけてくるのかと思ったが、ちがうらしい。トラクターは、事故の原因や故障している場所をオッタリンに教え、修理して使えるようにしてくれと頼んだ。
 9月になり家畜の仲買人アメンディンガーがウシの買い付けにやってきた。その日は父親が急に熱を出し、ウシに詳しいオッタリンが値段の交渉をすることになった。アメンディンガーのほうも息子のフライビーが父親の代役として来た。ふたりは値段の交渉が終わったあとも長いこと話しこんでいた。やがてふたりは結婚した。
 父親のアラジンは牧場用の飛行機を買ったが、お披露目飛行をした日に低空を飛びすぎて左の車輪を修理したトラクターにひっかけて、墜落死してしまった。母親はシャンのいるラスベガスに行き、牧場はオッタリン夫婦が相続することになった。

拍車
[登場人物]
・ カー・スクループ……コーヒーポット牧場の主人。40歳。離婚後、自暴自棄の生活。
・ ジェリ……カー・スクループの元妻。
・ ジョン・レンチ……スクループの親友。独身。ジェリの浮気相手。
・ サットン・マディマン……コーヒーポット牧場の隣で観光牧場をしている。愛妻家。
・ アイネズ・マディマン……サットンの妻。夫から拍車をプレゼントされる。
・ ミセス・フリーズ……コーヒーポット牧場で20年カウボーイ頭をしている。70歳。
・ ベニー・ホーン……コーヒーポット牧場のカウボーイ。
・ ホール・スミス……ギャラクシー牧場のカウボーイ頭。テキサス出身。
 カー・スクループが離婚したのは2年前のことだった。早めに仕事から戻ってくると、妻のジェリが親友のジョン・レンチと浮気していた。「離婚してやる」とわめく妻をトラックに乗せて怒鳴りあっているうちに交通事故を起こしてしまい、スクループは大けがをして入院した。退院したときにはジェリは家を出ていた。それから彼のなかでなにかが壊れていった。家の中は荒れ放題、夜中にジェリの家に押しかけて車の窓に発砲したこともあった。おまけにけがの後遺症でひどい頭痛がし、アスピリンを離せなかった。
 コーヒーポット牧場の隣では親友のサットン・マディマンと妻のアイネズが観光牧場を経営していた。サットンが妻の誕生プレゼントを探しに町の店に入ると、すばらしい銀製の拍車が飾られていた。300ドルもしたが買ってしまった。馬を乗り回すのが大好きなアイネズは大喜びだった。ある日東部からきた客が「オオカミがいる」と騒ぎたてたのでアイネズが見回りにいったところ、ウマがオオカミに驚いて仁王立ちになりアイネズは振り落とされて首の骨を折って死んでしまった。アイネズの葬式後、傷心のサットンは牧場を売ってオレゴンに住む娘のところへ移った。新しい牧場主はギャラクシー牧場と名づけた。拍車はオークションにかけられ、ミセス・フリーズが2ドルで買った。
 スクループの行動はさらに常軌を逸したものになり、ショットガンを持ってミセス・フリーズの家まで押しかけ「俺にさからう奴は容赦しねえ」とわめきちらした。ミセス・フリーズは前々から拍車を欲しがっていたギャラクシー牧場のホール・スミスに電話をかけ、拍車を譲るから雇ってくれと頼み込んだ。
 6月になり山の上の氷が溶けだし、川が増水し始めた。ある日ホール・スミスが見回りにいったまま帰ってこなかった。ミセス・フリーズが捜しに行くと、彼のウマが川の中の木にひっかかっていた。この季節の川の怖さも知らずにテキサスのつもりで渡ったのだろう。遺体は川の水が引いてからみつかったが、拍車はどこにもなかった。
夏が終わり、ギャラクシー牧場がまた売りに出された。ミセス・フリーズは久しぶりにベニー・ホーンと会い、スクループの近況をきいた。「奴はきちがいだけど、今じゃおとなしいもんさ。ポテトチップスを食べながら一日じゅう小川のヤナギの下に座っていて、暗くなるとひとりで戻ってくるんだ。でも、冬になったらどうすんだろうねえ」

ロンリー・コースト
 私はライリーと結婚して9年になるが子供はいなかった。ライリーは牧場の仕事をし、私は日本料理のレストラン「ウィグワム・ロッジ」で週に2日働き、週末にはバー「ゴールド・バックル」で働いていた。でも今年の春わたしたちは別れた。彼がウシの出産の手伝いに来た15歳になる女の子に手を出したのだ。
 ジョザンナは「ウィグワム・ロッジ」のコックで、気性が激しかった。亭主に銃をぶっ放し肩をけがさせて離婚したらしい。彼女にはパルマとルースという女友達がいて、毎週金曜日にはお茶に集まり、土曜日にはバーに繰り出して羽目を外していた。ジョザンナにはエルク・ネルソンという新聞の恋人募集欄で知り合った恋人がいた。45歳ぐらいのハンサムなポニーテールの男で、私にはかなりな悪党に見えたが、ジョザンナは夢中だった。
 8月のロデオのあった晩、「ゴールド・バックル」は人でごった返していた。ジョザンナはレストランを首になったと大荒れで、パルマとルースとエルク・ネルソンとバリーの5人で他の店に行くことになった。途中、エルクの運転する車とウシを積んだトレーラーとブルーのトラックの3台による追い越し事故が起こった。事故はたいしたことなかったが、トレーラーを運転していた男が切れてライフル銃をぶっ放し、ウシ一頭、エルク、ジョザンナが弾に当たって死んでしまった。ブルーのトラックの男も重態だった。
人はかんたんに暗い衝動に負けてしまうものなのだ。

ワイオミングの知事たち
 シャイ・ハンプは100年も続いた牧場の家に生まれた。祖父は議会に勤めていたので、家にはワイオミングの知事たちの写真が飾ってあった。シャイは家畜や牧場の仕事にまったく興味がなく、成績が悪かったのに大学へいきたがり、周囲を驚かせた。大学4年のときに両親と兄が新車でドライブ中に雪崩にあい死んでしまった。シャイは牧場を相続したが、家と土地はそのままにして家畜だけを売り払った。大学を卒業するとルーニと結婚した。ルーニーは裕福な弁護士の娘で、シャイと結婚したのは彼が美しかったから、もの珍しかったからだった。ルーニーは西部風のギフト・ショップを始めて大当たりし、シャイはウマの保険業を始めたがさっぱりだった。彼らは結婚して16年になる。
 シャイのところには年に2回ほどウェード・ウォールズという男が訪ねてくる。「牧場主たちが西部を破壊している。エラジカやバイソンやオオカミのいた昔の西部を取り戻そう」と演説していたウェードにシャイが共感したからだ。ウェードが訪ねてきた日、シャイは2日ほど前から旅に出てまだ戻っていなかった。じつは保留地に住む13歳のインディアン娘と過ごしていたのだ。シャイは12歳のときにクラスメートの女の子が、その子のお祖父さんが運転するセダンの後部座席でシャイのペニスを握っていかせてくれたときのことが忘れられなかったのだ。
 シャイが帰ってくると、ウェードは牧場主に反撃するために国有地と隣接している柵を切って家畜を国有地に追い込もうといいだした。シャイはレジスタンス気取りで柵を切っていたが、見回りにきた牧場主に見つかり、発砲されて腰を撃たれてしまった。ウェードはいつのまにか逃げ出していた。意識が遠のきシャイはセダンの後部座席にいるような気がしてきた。四方から光があたり、光の向こうに選挙民に笑いかけているエマーソン知事の姿が浮かんだ。

ガソリンスタンドまで55マイル
 クロームは夜中に酒を飲んでウマを走らせていたが、崖から落ちて死んでしまった。
クロームの女房は屋根に登りノコギリとハンマーで屋根裏部屋に穴をあけようとしていた。絶対に入るなと12年間言われ続けてきた南京錠がかかった屋根裏部屋。隙間ができて中が見えてきた。思った通り。夫の愛人たちの死骸だ。新聞に載っていた行方不明の写真と同じだった。
 秘め事をするときは、長生きすること。

ブロークバック山
 エニス・デルマーとジャック・ツイストが育った牧場はそれぞれワイオミングの南と北の州境にあったが、ふたりとも貧しさのなかで育ち、振る舞いもしゃべり方も粗野だった。エニスは細い顔に高い鼻、脚は長く、飛びぬけた反射神経と筋肉質の体はウマに乗るためと喧嘩をするためにあるようなものだった。ジャックは金髪のくせ毛でよく笑い、笑うと出っ歯がみえた。背の低い割には下半身がしっかりしていて、ロデオに夢中だった。そんな二人が1963年の夏にブロークバック山で出会った。そのときふたりは20歳前で、エニスはアルマ・ベアと婚約していた。
 ふたりはブロークバック山に放牧する1,000頭のヒツジの番をするために雇われた。去年は25%が泥棒やコヨーテにやられたので、夜は食事のとき以外はヒツジの群と一緒に寝なければならなかった。山の夏は短く、夜は一段と冷えてきた。ある晩ふたりはウィスキーを飲んで酔っ払い、ヒツジの番をやめて、ふたりで大きな寝袋にもぐりこんだ。寝袋の中は温かく親密さが増してきた。ジャックはエニスの左手を取って自分の固くなったペニスに持っていった。エニスは火に触れたようにさっと手を引いたが、じきにズボンを下げてジャックの中へ入っていった。初めてのことだったが、自然にうまくいった。それからは夜になるとテントの中でセックスをするようになった。やがて8月半ばに初雪が降ると下山を命じられた。ふたりは給料をもらい別れをいってから、反対方向に車を走らせた。
 12月にエニスはアルマと結婚し、カウボーイの仕事を得て落ち着いた。翌年の9月には長女のアルマJr.が生まれ、2年後に次女も生まれた。ブロークバック山でジャックと別れてからもう4度目の夏がこようとしていた。ある日エニスはジャックから手紙をもらった。近くまで行く用があるから会おうとあった。当日エニスは休暇を取り、お気に入りのシャツを着てジャックを迎えた。アルマはふたりが抱き合って再会を喜んでいる様子に違和感を覚えた。ふたりは酒を飲みに行くといってでかけ、まっすぐモーテルに向かった。セックスの後、ジャックはテキサスでルリーンと結婚し息子がいることや、ルリーンの父親が農機具販売の仕事をしていることなどを語った。そしていつでも一緒にいられるようにふたりで牧場をやろうと言い出した。エニスは、幼い頃近所に住んでいたゲイのカウボーイたちの片割れがリンチにあり、タイヤレバーで殴られて灌漑用の溝に捨てられて死んでいた話をし、ときどき会うのが一番いいと説得した。それからふたりは年に1、2度釣り旅行と称して会うようになった。
 アルマJr.が9歳、次女が7歳のときにエニスとアルマは離婚した。アルマはちゃんとした仕事につかず長時間低賃金の仕事に甘んじ、家族旅行にも連れて行かない夫に愛想をつかしていた。やがてアルマは勤めていたスーパーのオーナーと再婚した。感謝祭の日に再婚した家庭に招待されたエニスは、アルマからジャックとの仲を追求されて返事に窮し、思わずアルマの手首を強く握って「人のことに口出しするな」と脅かしてしまった。それ以来、娘たちともアルマとも疎遠になった。
 1983年の5月にエニスとジャックはいつもの旅行に出かけた。ふたりはもう若くなかった。エニスの娘たちも17歳と15歳になっていた。ジャックの息子は15歳だが失語症だった。ルリーンの父親が死んで彼女が事業を引き継ぎさらに大きくしていたが、ジャックは肩書きだけのつまらない仕事をしていた。エニスが次回は11月に会おうというと、ジャックはいつも寒いときばかりだと文句をいい、エニスがジャックにとってどんなにかけがいのない存在かを訴えた。ジャックが望んでいたのは、あのブロークバック山で体を寄せ合ったときのような、満たされた思いを共有することだった。
 エニスがジャックの死を知ったのは、郵便物が宛先人死亡として戻ってきたからだった。エニスは慌ててルリーンに電話した。彼女の話によれば、ジャックが田舎道でパンクしたタイヤに空気を入れているときに、タイヤが破裂して車輪のリムがジャックの鼻とあごにあたって大出血し、血が喉につまって窒息死したというのだ。一瞬エニスは、ジャックはタイヤレバーでやられたんじゃないかと思った。エニスが墓地の場所をたずねると、火葬にしてからブロークバック山に撒いてくれと遺言にあったが、山の場所がわからないので半分はテキサスに埋葬し残りはジャックの両親に渡したと答えた。
 エニスはモンタナ州境のジャックの実家に向かった。ジャックの遺言通り灰をブロークバック山に撒きたいと父親に申し出ると断られてしまった。父親は怒りながら話し始めた。「あんたの名前はジャックからきいてたよ。いつかあいつを連れてきてここを立派な牧場にしてやるってな。ところが今年はテキサスの男を連れてきて、家を建てて牧場を手伝うって言い出す始末さ。女房と別れてここに戻ってくるつもりだったんだ」。やはりジャックはタイヤレバーでやられたんだ。エニスはジャックの部屋をみせてもらった。クローゼットの奥にジャックがブロークバック山で着ていたシャツがかかっていた。よく見るとその下になくなったとばかり思っていたエニスのシャツが二枚の皮のように重なっていた。
家に戻ってからエニスはギフトショップへ立ち寄り、ブロークバック山の絵葉書を注文した。30セントだった。住んでいるトレーラーハウスに絵葉書を飾り、その下にジャックとエニスの2枚重ねのシャツをかけた。その頃からエニスの夢のなかにジャックが現れるようになった。初めて会ったころのくせ毛のにこにこした出っ歯のジャックが。

[感想]
 副題が「ワイオミング物語」となっているように、全編ワイオミングを舞台にしたワイオミングの人々の話である。ほとんどの人が小さな牧場で生まれ、そこから人生をスタートさせていく。一生牧場で暮らす人もいれば、若いうちに家を出て牧場とは無縁の生活を送る人もいる。どの作品にも似たような人々が登場する。荒っぽい破滅型の男女、事故で障害を持つようになり人生が狂ってしまった男、何かに呪われたように事故死していく男女、故郷を捨てる若者たち。それらの人々が様々な組み合わせで登場し、9通り(2編はブラックジョーク)の物語になっている。そしてほとんどの作品が主人公たちの死や身の破滅で終わる。だが描き方はまったく暗くなく、突き放したような乾いた感じがする。作者は、同情も非難もせずただワイオミングの語り部という立場で作品を書いたように思う。
 しかし2、3の作品(「皮をはがされた子ウシ」、「ブロークバック山」など)を除いて、登場人物が多すぎて話が散漫になり、物語の焦点がどこにあるのかわからないものが多い。短編とはいえ突っ込みが足りなく、描き方が中途半端なような気がする。たとえば、「草原の果てに」ではオッタリンの孤独を描いて、しゃべるトラクターまで登場させながら、フライビーが登場するやあっというまに結婚してオッタリンは牧場のおかみさんにおさまってしまう。また「ワイオミングの知事」ではウェード・ウォールズや近くの牧場主を登場させて、現在のワイオミングの牧場が抱えている問題をしゃべらせてはいるが、そこからあまり発展せずバックグランドミュージックで終わっているような気がする。ウェード・ウォールズの描き方も不十分で説得力がない。
 ひとつひとつの作品には不満が残るが、全作品を読み通せばたしかにワイオミングの姿らしきものが伝わってくる。だがいまひとつピンとこない。アメリカ人にとってワイオミングがどのような存在であるのか自分もよくわからないせいだろうと思い、図書館でヒントになる本はないかとさがしてみた。次の文を読んだとき、これだと思った。

 客観的な言いまわしのなかにアメリカ人一般が抱くワイオミングのイメージが明らかにされる。(中略)そこはどんづまりの土地である。「ワイオミング州のどこか」という表現には「どこでも同じ」といった意味が含まれると思いたくなる。(中略)
ワイオミング特有の「ジレット症候群」という神経症がある。ジレットはシャイアンの北40マイルの鉱山町でイオウの含有量の少ない石炭を大量に産出したために生まれた。ブームタウンの常でバーが建ち並んで、男たちは毎夜酔いつぶれ、留守番の妻たちは神経を病んでいく。州内に同様の町がいくつもあり、同じ憂鬱症の患者が続出して、とうとう通称とはいえ病名にまでなってしまったわけである。(p.353)
枝川公一著「アラバマ発ワイオミング行」(講談社)

つまり短編集「ワイオミング物語」は、どんづまりのどこも同じような土地で、同じような人間が同じような不幸な人生を送っている姿を描いているのだ。そう考えれば、似たような人物が繰り返し登場し、似たような9通りの物語ができあがったのも肯ける。作品全体から漂う閉塞感も理解できる。

 copyright © 2003 Mizuhito Kanehara

 last updated 2003/9/29