管理者:金原瑞人

An Equal Music by Vikram Seth  Phoenix House(384p.)

粗筋
 四重奏団のヴァイオリン奏者マイクルは、十年前ウィーンで心ならずも別れた恋人、ピアニストのジュリアとロンドンで再会し、ふたたび激しい愛にのめりこむ。しかしやがて、ジュリアとの束の間の恋愛には決定的な終止符が打たれ、さらに愛用のヴァイオリンをも手放さなくてはならないかもしれなくなる。マイクルはついにろくに演奏もできない状態になり、四重奏団を退く。だが結局ヴァイオリンは手元に残る。そしてジュリアのピアノの演奏をきいて心から感動したマイクルは、音楽を通して彼女とつながっていることを確信するのだった。

登場人物
マイクル・・・・・・マジョーレ四重奏団の第二ヴァイオリン奏者。主人公。
ヘレン・・・・・・・マジョーレ四重奏団のヴィオラ奏者。
ピエール・・・・・・マジョーレ四重奏団の第一ヴァイオリン奏者。
ビリー・・・・・・・マジョーレ四重奏団のチェロ奏者。
ヴィルジニー・・・・マイクルの教え子であり現在の恋人。
カール・・・・・・・マイクルのウィーン音楽学校時代の指導教授。
ジュリア・・・・・・マイクルが十年前に心ならずも別れた恋人。
ジェイムズ・・・・・ジュリアの夫。
ルーク・・・・・・・ジュリアの息子。
フォーンビー夫人・・マイクルを音楽と出会わせた裕福な夫人。

要約
 マイクルはロンドン中心部のフラットに住み、マジョーレ四重奏団の第二ヴァイオリン奏者として平穏な日々を送っていた。かし時折、十年前のウィーンでの学生時代を思いだし、失ってしまった恋人ジュリアへの思いで胸が一杯になることがあった。今はヴィルジニーという若くて奔放な教え子と関係を持っているが、心にはいつもジュリアの面影があり、ヴィルジニーとはいつもぎくしゃくした感じだった。
 ある日、ウィーンでの指導教授カールから手紙が届く。「君たち四重奏団の演奏を聴いてとても感銘を受けた。わたしは時として生徒に厳しすぎたかもしれないが、過去のこととして許してほしい。また、わたしから得たものが少しでも役に立っていれば幸いだ」という内容のものだった。カールは当時マンチェスターの音楽学校にいたマイクルの才能を認め、ウィーンの自分の元で学ぶよう招いてくれた。だがマイクルは室内楽の活動に力を注ぎはじめ、マイクルをソリストとして育てたいと思っていたカールと衝突してしまった。やがて疲れ果てたマイクルはウィーンを突然去り、それがジュリアとの別れとなってしまった。
 マイクルはマンチェスターに近いロッチデールの肉屋のせがれで、ひとり息子を大学に進学させようと必死で努力してきた両親の猛反対を押し切って、音楽学校に進んだ。一時は険悪だった両親との仲もそれなりに回復する。父に電話をしたマイクルは父の衰えを感じ、クリスマスは実家に帰ることにする。マイクルの両親が一生懸命やってきた肉屋は区画整理のために取り上げられてしまった。店を失い気力を失った父を看病していた母が突然心臓発作で死ぬと、父はひどく老けこんでしまった。すぐそばまでムアが迫っているロッチデールの町での少年時代は、マイクルにとって楽しい思い出だ。マイクルの音楽の原体験はムアの静けさやヒバリの歌だった。
 ある日マイクルは、以前ジュリアたちと組んでいたトリオで演奏したことのあるベートーベンの三重奏曲が作曲家自身の手で弦楽五重奏曲として編曲されていることをヴィルジニーから聞き、耳を疑う。まさかとは思ったものの調べていくうちに、ほとんど知られていないが確かにその曲が存在することをつきとめ、その曲の楽譜とレコードを探し始める。そして楽譜を見つけだし、苦労の末ようやくスーク四重奏団のレコードを見つけた。マイクルはレコードを持って二階だてのバスに乗っていたが、渋滞でバスが動かないときにふと見ると、センターラインの向こう側のバスにジュリアそっくりの女性がいた。マイクルはバスを飛び降り、タクシーを拾って必死でバスを追うが結局その女性は見つからず、大切なレコードまでタクシーに置き忘れてしまう。
 マイクルはジュリアとなくしたレコードのことが頭から離れない。知り合いのエージェントに調べてもらったが、ジュリアの父は死に、母が現在ウィーンに住んでいることしかわからない。マイクルは居ても立ってもいられず、ヴィルジニーとの仲もおかしくなる。そんなある日、なくなったレコードがもどってくる。タクシーの運転手が届けてくれたらしい。レコードを聴いたマイクルは、そのうちきっとこの曲を自分たちでも演奏しようと思う。
 十二月に入り、以前と同じ孤独な毎日ではあるが、レコードのおかげで気持ちは以前より落ち着いてきた。四重奏団は近づいてきた演奏会のためのリハーサルを繰返し、演奏会の曲目について議論し、アンコールの演目を決める。
 クリスマスの三日前、マイクルはロッチデールの実家に向かう。かつて協同組合運動の発祥の地として有名だった故郷が衰退しているのを見るのは辛かった。マイクルは父達と静かなクリスマスを過ごし、フォーンビー夫人を訪ねる。幼いマイクルに様々な文化的な刺激を与え、マイクルと音楽との出会いを作ったのは、裕福なこの夫人だった。マイクルは九歳のときに夫人に連れられていった演奏会で、ヴァイオリンの音色にすっかり魅了されたのだ。最初にマイクルにヴァイオリンを教えたのも夫人なら、マイクルに自分の所有するヴェニスで作られたヴァイオリンの名器を貸し与えてくれたのも夫人で、以来マイクルはそれを弾き続けていた。だが老いた夫人は、甥にヴァイオリンを遺すべきではないかと悩んでいた。
 ロンドンに帰ったマイクルは、ジュリアの思い出がからむベートーベン弦楽五重奏曲の演奏の話を進めようとするが、どちらが第一ヴァイオリンをとるかでピエールと意見が対立する。四重奏団という小さな所帯は、団員の個人的関係は演奏にも大きな影響を及ぼす。マイクルの心はベートーベンの曲のことでいっぱいだ。ベートーベンの五重奏曲の初めての合同練習で、皆が曲のすばらしさに感動し、マイクルはジュリアを思い出した。
 ジュリアに初めて会ったのは、ウィーンで暮しはじめて二ヶ月ほど経った学生コンサートだった。彼女の演奏にすっかり魅せられ、食事に誘い、付き合うようになった。マイクルはジュリアに夢中だった。年下だが成熟したジュリアから、マイクルは様々なことを学んだ。ジュリアと知り合って一年が経ち、ウィーンでの二回目の冬が来る頃、マイクルの中指の動きがぎこちなくなった。指導教授のカールはマイクルを厳しく鍛えて危機を乗り越えさせようとしたが、マイクルはその厳しさに持ちこたえられなかった。カールのもとで勉強を続けるようジュリアに励まされるが、それも自分への裏切りとしか感じられなくなり、マイクルは突然何も言わずにウィーンを去ってしまった。冷静さを取りもどし、ジュリアの誠実さや大切さに気付いたときには二か月が経っており、手を尽くしたがジュリアの行方はわからなかった。ジュリアを探すことをあきらめたマイクルはそのうち、室内楽団に採用されてなんとか生活できるようになった。だが心の底には常にジュリアの面影があり、特にバッハはジュリアの思い出と深く結びついていた。ジュリアとの恋は最初で最後の恋ともいえるもので、ジュリアとウィーンに対するマイクルの想いは深く、それだけに自分の行いが許せなかった。
 二月、四重奏団は演奏会でアンコールにバッハの「フーガの技法」の冒頭部を演奏するという冒険をして喝采を博す。そして舞台を下りて楽屋にもどってきたマイクルの前には、感激して駆けつけたジュリアが立っていた。ジュリアは再会を約束し、ふたりは別れる。
 翌日ふたりは美術館で会うが、会話はぎこちなく、マイクルも気軽に振る舞えない。ジュリアは突然そそくさと立ち去り、マイクルがアパートに帰ってみると、「明日ケンジントン公園で会いたい」というジュリアからのメッセージが留守電に入っていた。マネージャーからは、昨日の演奏会を聴いた有名レコード会社からレコーディングのオファーがあったという電話がある。翌朝ふたたびマイクルに会ったジュリアは、すでに結婚して息子がひとりいることを告げる。そして自分を棄てたマイクルを責め、立ち去ろうとする。マイクルはジュリアを失うことに耐えられず、なんとか住所を聞き出す。
 午後、四重奏団の面々はマネージャーとレコーディングについて検討する。レコーディングの演目がバッハの「フーガの技法」と指定されており、この長大なオルガン曲の演奏を危ぶむ意見と、挑戦しようという意見が対立し、結論は出ない。マイクルは何をしていてもジュリアの面影がちらつき、会いたくて仕方がない。
 翌朝十時、突然ジュリアが訪ねてくるが、話をしながらも緊張している様子で、自分がなぜここにいるのかわからないといいだし、立ち去ろうとする。マイクルは必死でジュリアを引き止め、ドイツ語で家にファックスを入れる許しを得る。
 現代曲のリハーサルのために集まった四重奏団は、ふたたび「フーガの技法」について、弦楽器の限界をどうクリアするかを議論する。リハーサルが終わると、マイクルはジュリアにドイツ語でファックスを流す。その後マイクルは四重奏団のヴィオラ奏者ヘレンを連れて、楽器の限界をクリアする方法を探すために弦楽器製作者を訪ねる。
 翌朝、突然マイクルのフラットを訪ねてきたジュリアは、モーツァルトのピアノソナタを弾きはじめる。マイクルはまたもなんとかジュリアを引き止めようとし、急ぐジュリアに、思い出のベートーベンの弦楽五重奏のレコードを貸す。その晩、レコードの曲目に驚いたジュリアから「翌朝9時に会いたい」というファックスが届く。ジュリアは翌朝やってくるなり、モーツァルトのヴァイオリンソナタを合奏しようという。ウィーン時代がもどってきたような気持ちになったマイクルが愛を告白すると、ジュリアもためらいながら愛しているという。ふたりは愛を交わす。
 それから三日が経ち、マイクルはジュリアに会いたい一心で、ジュリアの息子ルークの通う学校に出かけ、犬を連れて公園を散歩しているジュリアの前に姿を表わす。また自分の想いを語りだすマイクルに対し、ジュリアは距離を置こうとする。やがてマイクルはルークからジュリアの耳が聞こえなくなっていることを聞く。いろいろなことに合点が行く一方、マイクルは音楽家としてのジュリアのことを考え大きなショックを受ける。
 ジュリアのことしか考えられずほかのことに手がつかないマイクルは、翌日手紙を書く。ジュリアからの返事には、自分の耳が聞こえなくなっていること、原因は分からないこと、しかし音楽を棄てる気はないこと、そのためにはこの事を秘密にしておきたいこと、夫や息子がとてもよく協力してくれることなどが書かれ、いずれ家に招きたいと結んであった。そのほかにも、人生と音楽の一部をあなたと分かち合いたい、あなたはわたしの心を激しくかき乱すけれど、この愛が実るとは思えない……という心情も綴られていた。
 「フーガの技法」の技術的な面がひとつ解決して、「フーガの技法」のレコーディングはまた一歩実現に近づく。今では寝てもさめてもジュリアのことしか頭にないマイクルは、ヴィルジニーと喧嘩別れする。人目を避けなくてはならない関係であっても、マイクルにはジュリアと一緒にいる一瞬一瞬が貴重で、先のことなど考えられない。ジュリアの抱えている二重生活の苦しみを感じながらも、ジュリアを手放す気はなかった。
 ウィーンで予定されている演奏会のリハーサルも繰返されるが、「鱒」で共演するはずのピアニストが来ず、音合せができない。演奏旅行で訪れる十年ぶりのウィーンでの滞在は、マイクルにとって過去の亡霊に満ちた辛いものなりそうだった。ある朝ジュリアが突然現れ、マイクルの誕生日のプレゼントを買いにいこうという。そして唐突に、ウィーンへの演奏旅行に同行し、「鱒」で共演することになったと告げる。マイクルは自分の耳が信じられない。マイクルの誕生日、ふたりは夕食をともにするが、マイクルの頭からはジュリアの夫のことが離れず、ジュリアも神経が高ぶっている。
 四重奏団とジュリアとの初のリハーサルは、耳が聞こえないのを隠しているジュリアが途中で音を合せられなくなる。マイクルの助けでなんとかその場は乗り切ったが、皆何かおかしいと感じる。リハーサル終了後、マイクルはピエールに呼ばれ、「鱒」で自分の代りに第一ヴァイオリンを弾けといわれ、喜んで受ける。さらにジュリアのことをしつこく尋ねられたマイクルは、ついにジュリアの耳が聞こえないことを話してしまう。マイクルはジュリアとは共演できないというピエールを何とか説き伏せ、翌日残りのメンバーにも話す。マイクルは急いでジュリアに秘密を漏らしてしまったことを告白し謝るが、ジュリアは演奏家生命を絶たれかねない事態に動転し、マイクルの謝罪にも取り合わず立ち去る。結局マイクルの熱心な説得もあり、ジュリアの障害は秘密にして演奏会を行うことになる。
 リハーサルではジュリアの障害を配慮した音作りが続き、次第に全体がまとまっていくが、マイクルに対するジュリアの態度は冷たい。そんなとき、ジュリアから昼食の招待状が届く。誘いに応じるしかないが、マイクルは心中穏やかではない。初対面のジュリアの夫に好感を持ちはしたが、気は動転したままで受け答えもやっとという有り様だ。そのうち恨みがましい気持を抑えきれなくなったマイクルは、自分の想いをジュリアにぶつけてしまいそうになってしまい、挨拶もそこそこに出ていく。
 四重奏団がウィーンに到着した。飛行場にはジュリアの母がジュリアを迎えに来ており、マイクルたちはエージェントとホテルへ向かう。翌朝のリハーサルでは、ジュリアも含め素晴らしい演奏だった。リハーサルが終わると、ジュリアはマイクルに、今後はソロ活動に専念すると打ち明ける。マイクルは、一緒に演奏できなくなると知らされショックを受ける。ふたりは旧友マリアの家を訪れ、マイクルはジュリアに「一緒にいたい」というが拒まれる。四重奏団の仲間の食事の誘いも断ってひとり夜の町に出たマイクルの脳裏に、学生時代のさまざまな思い出がよみがえる。
 ろくに眠れないまま夜が明け、ホールでのリハーサルとなるが、マイクルは異様なほど緊張する。マイクルはまたジュリアをホテルに誘うが断られてしまう。
 演奏会当日、オール・シューベルト・プログラムは七時半に始まった。最初の曲が終わり「鱒」が始まる。「鱒」が終わったとき、マイクルは心身ともに緊張しきって、立つこともできない有り様だった。聴衆の反応は上々だったが、マイクルは見るからに具合が悪そうで、休憩後の演奏を続けられそうにない。ジュリアがシューベルトの小品の楽譜を見つけてきた。マイクルはジュリアと一緒に弾くと、なんとか落ち着いてきて、ふたたび舞台にあがった。最後の曲を弾きながら、マイクルは自分が過去の愛に食い尽くされていくように感じていた。翌朝マイクルは四重奏団の団員に、次の公演地ヴェニスまで別行動を取り、ヴェニスでの宿も別にする旨を告げる。なりふり構わないマイクルに、団員も呆れ顔だ。翌朝七時半の列車でふたりはヴェニスに向けて発つ。
 ヴェニスについたふたりはジュリアの友人の貸してくれたアパートに向かう。マイクルはふたりでヴェニスにいることが嬉しく、ジュリアと片時も離れたくない。アパートに着くと、ふたりは早速すべてから解き放たれたように愛を交わす。マイクルはふたりで町を散策しながら、自分のヴァイオリンが、故郷であるこの町で演奏されている場面を思い浮かべる。ふたりは翌朝も一緒に島を散歩し、ヴィヴァルディの教会に入る。マイクルは常に肌身離さず持っているヴァイオリンを取り出して、ヴァイオリンへのオマージュと作曲者へのオマージュをこめて、ヴィヴァルディの「マンチェスターソナタ」の一部をジュリアと演奏する。
 リハーサルのために四重奏団の面々と落ち合うが、四重奏団の面々はジュリアにもマイクルにも冷たい。ジュリアはマイクルに、一緒に過ごすのは楽しいけど、家族が、とりわけ息子が恋しいという。翌日も、ジュリアはマイクルといることを喜んだかと思うと取り乱して泣き出したり、ひどく不安定だ。
 演奏会は好評のうちに終了するが、マイクルはほかのメンバーとも言葉を交わさずにアパートに帰る。翌朝5時に目覚しで起こされ、ジュリアは夜明けを見に行こうという。ふたりはサンマルコまでヴァポレットに乗り、そこから歩いてファンダメンテ・ヌオヴェへゆき、6時のトルチェッロへのボートに乗った。空が美しく明けていく。トルチェッロに着くと、ジュリアは教会で一心に祈る。マイクルがいくら懇願しても、ジュリアは「火曜日にロンドンに帰ったら、すべて終わりにしましょう」というばかりだ。
 その日、四重奏団の練習の前に、マイクルはジュリアから誕生日プレゼントを受け取る。手製本の楽譜に、「フーガの技法」の冒頭を写譜したものだ。練習が一段落したマイクルは、ジュリアが夫あてに送ったファックスを偶然盗み読みしてしまう。家族への愛に満ちたファックスをみたマイクルは、激しい嫉妬を感じる。その夜マイクルは自分を抑えかね、歯形が残るほどジュリアに噛み付く。そして自暴自棄になったマイクルは、ファックスに書かれていたことを嫌みな口調で並べ立てる。ジュリアは泣き叫び、マイクルを拒絶する。翌日ジュリアはヴェニスを去り、マイクルはひとり残される。
 ロンドンにもどったマイクルはマネージャーの電話を受ける。ジュリアの耳が聞こえないことを売り物にすべきだと言うマネージャーの声を聞きながら、マイクルはヴェニスでの最後の日を思い出していた。ジュリアはマイクルの仕打ちを許さず、マイクルは自分が許せない一方でジュリアに弄ばれているような気もしていた。
 「フーガの技法」のレコーディング準備も進むが、ジュリアからの連絡を待つうちに六月になり、夜も眠れないことが多いマイクルは、とうとうジュリアの家の玄関に立つ。ドアを開けたジュリアの顔はやつれていた。マイクルの謝罪にも、ジュリアの態度はそっけない。なんとかジュリアとの関係の糸口をつかもうとするが、ジュリアからは「お友達でいましょうと」といわれてしまう。
 リハーサルのために集まった四重奏団の仲間の家族的な雰囲気が、マイクルには有り難い。「フーガの技法」を合せはじめるが、ウィーンの話が出ると、マイクルは音楽に没頭できなくなりパニックの波に襲われるようになる。家に帰ったマイクルは、留守電にジュリアの夫からの伝言が入っているのに気付く。翌朝ジュリアの夫に電話すると、ジュリアの誕生日パーティーにぜひ来てほしい、驚かせたいので秘密にしてほしいといわれ、マイクルは招待を受ける。贈り物を持って訪れたマイクルに対し、ジェイムズの態度は礼儀正しくはあるが冷たく、マイクルは戸惑う。ジュリアはマイクルに、ジェイムズがふたりの関係に気づいたらしいという。
 マイクルはそれでもジュリアをロッチデールに誘うが、ジュリアはそれを断り立ち去る。やがてクリスマスを過ごすためにひとりロッチデールにやってきたマイクルは、いよいよ弱りはじめた父達と静かなクリスマスを過ごし、ひとりムアにいってみる。地面に横になり、ヒバリの歌を思い出して時を過ごす。マイクルはフォーンビー夫人に、ヴァイオリンについては夫人の意向に従うが、できれば数ヶ月猶予を貰って「フーガの技法」のレコーディングをすませたいという。ロンドンにもどると早速新しいヴァイオリンの手当てを考えはじめる。今の楽器は高くてとても買い取ることができず、あれこれと思い悩んでいたある日、「これ以上緊張に耐えられないので、もう会えない」というジュリアからの手紙が届く。ピアノも弾けなくなったし、自分のためにも家族のためにも心の平和を取りもどさなくてはならない、あの演奏会の晩楽屋にいったたことを後悔しているという内容だった。
 マイクルは信じられずにジュリアの家の戸口に立つ。ふたりは公園にいき、ジュリアはベートーベンのレコードをマイクルに返す。ジュリアは二度と会いたくないといい、マイクルはジュリアを失いたくない一心で粘るが、ジュリアは、今の家族なしでは生きていけないという。マイクルはレコードを怒りにまかせて池に投げこみ、立ち去る。
 日常生活だけがマイクルを支え、ヴァイオリンだけがマイクルの気持ちを知っていたが、そのヴァイオリンとももうじき別れなくてはならない。マイクルはピエールのヴァイオリン探しにつきあってオークションに行くが、ピエールが手に入れたいと思っていたヴァイオリンはほかの人に落札されてしまう。マイクルはオークション会場で、ジュリアが次のコンサートで「フーガの技法」を演奏することを耳にし、ショックを受ける。家に帰り練習に取りかかろうとしたとき、マイクルは自分の手が動かず、耳が音を捉えられなくなっていることに気付く。フーガの技法を演奏することを体が拒んでいるのだ。リハーサルでみんなと会わせようと何回試みてもうまく行かず、ついにその場を立ち去る。マイクルは頭が混乱して何も手につかず、ひとりで家に閉じこもりつづけ、ついに四重奏団を退団したいと申し出る。
 毎日が半分空ろに半分夢のように過ぎていったある日、フォーンビー夫人の死が知らされ、マイクルはヴァイオリンとの別れがいよいよ近づいたことを感じる。四重奏団を退団したマイクルは臨時雇いのヴァイオリニストとして日銭を稼ぐようになるが、常に頭痛がし、妙なものにやたらこだわったあげく、ルークと一緒にいるジュリアの前に現れて、ジュリアに散々なじられてしまう。日常の小さなことだけに心を向けて過ごし、街の衣料品店の売り子をデートに誘おうとして断られ、コールガールとセックスしたマイクルは激しい自己嫌悪にかられ泣き出す。
 やがてロッチデールの消印のついた手紙が届き、マイクルは覚悟を決めてヴァイオリンに別れを告げる。だが手紙は弁護士からのもので、フォーンビー夫人が遺言でヴァイオリンをマイクルに遺してくれたという。信じられない展開にマイクルは光を見たような気がした。ヴァイオリンが晴れて自分のものとなった今、マイクルは夫人に心から感謝し、立ち直ろうと思いはじめる。
 十二月になり、マイクルは著名な音楽家のパーティーでピエールと再会し、四重奏団にもどらないかといわれるがていねいに断る。しかしマイクルはようやく仲間を受け入れられるようになっていて、楽しく話をしたり、音楽仲間の噂に耳を傾けたりする。
 クリスマスの三日前、ロッチデールに向かい、その途中マンチェスターをぶらついていたマイクルは、自分をロンドンに引き止めるものがもう何もないことに気付く。地方のオーケストラで演奏してマンチェスターの近郊に住み、父や叔母を頻繁に訪ねる平穏な生活を始めようかとも考える。静かにクリスマスを過ごし、母の墓に詣で、フォーンビ夫人の墓でヒバリの曲の一部を演奏し、「フーガの技法」の一部を演奏する。
 十二月三十日、マイクルはロンドンに列車でもどり、ジュリアが「フーガの技法」を演奏するホールに直行するが、ジュリアは耳の聞こえないピアニストとして有名になっていてチケットは完売だった。開演二分前に現れたビリーからチケットを譲り受け、マイクルはジュリアのピアノに耳を傾けた。ジュリアの指から流れる音楽は、素直で透明で愛らしく、マイクルは感動のあまり体が震えだし、休憩時間にひとり外に出てこう考える。
 生きていてあんなに素晴らしい音楽をたまに聴くことができればそれでいいじゃないか、それ以上のものはいらない、あの音楽さえあれば十分だ、と。

感想
 なにを今更、といいたくなるほど古典的で、いかにも古典的なテーマをいかにも古典的な構成と展開で描いた作品。そのうえとても視覚的で、まるで古き良き時代のヨーロッパ名画を観るような雰囲気もある。おそらく映画化の話も出てくるのではないだろうか。
 『A Suitable Boy』ではインドを舞台に「移りゆく時代のなかの家族」を1500ページにわたって(日本語だとおそらく5巻本)悠々と描き、『The Golden Gate』ではアメリカを舞台に一転して600編ほどの韻文詩(ソネット)からなるウィットに富んだ叙事詩的世界を描いたベストセラー作家ヴィクラム・セスの新作がこれ……というのもまた新鮮な驚きかもしれない。今度の作品では、舞台はさらに一転して、ヨーロッパ。
 じつに何もかもが古典的で、現代的なものは背景や乗り物以外ほとんどないという恋愛小説。そして縦糸に愛、横糸にクラシック音楽(現代音楽はほとんど出てこない)という、これまた古典的な織り方。さらに古典的なエンディング。
 それでいて一気に最後まで読まされ、最後は心から感動させられてしまう。
小説の面白さとはなんなのか、この作品はじつに面白い問題をつきつけてくる。

 copyright © 2003 Mizuhito Kanehara

 last updated 2003/12/25