管理者:金原瑞人

【POWER】
◇ 原題 ............................................... POWER / 豹の末裔(仮)
◇ 著者 ...................................... Linda Hogan / リンダ・ホーガン
◇ 初版年・版元 ................. 1998年・W.W. Norton & Co., Inc. (NewYork)
◇ 本文頁数 ......................................... 全9章 (標題あり)・235頁
◇ 訳文枚数 ......................................... 約650枚 (400字詰め換算)

◆ 著者紹介
主にオクラホマ州に住む、ネイティブ・アメリカンのチカソー族出身。コロラド大学で教鞭をとるかたわら、詩人、小説家、エッセイストとして数々の作品を発表。全作品を通じ
て、現代化の波に押されてネイティブ・アメリカンの伝統文化や精神が急速に失われつつあることに対し、警鐘を鳴らし続けてきた。野生動物の保護活動にも熱心に取りくんでいる。

最近の主な作品に;詩集『The Book of Medicines (1993)』(コロラド・ブック賞受賞) 『Seing Through the Sun 』(アメリカン・ブック賞受賞)、エッセイ集『Dwellings : A Spiritual History of the Living World (1995)』、小説『Mean Spirit (1990)』(オクラホマ・ブック賞受賞)(ピュリッツァー賞候補)、『Solar Storms (1995)』 などがある。日本では、『Dwellings : A Spiritual History of the Living World (1995)』(邦題『大地に抱かれて』浅見淳子訳、青山出版社)が紹介されている。

◆ 主な登場人物
オミシュト: 主人公。16歳。フロリダ半島に古くから住むタイガ族の娘。
アーマ・イートン: オミシトの心の友であり、師でもあるタイガ族の女性。

◆ 背景知識
(1)フロリダ・パンサー:この作品に出てくる「豹」とは、フロリダ・パンサーのこと。黄褐色で、体長は雄で最大2メートル(尾を含めた全長)にもなる。かつては北米の東部一帯に分布していたが、ヨーロッパ移民の定住にともない、家畜を襲う猛獣として嫌われ、乱獲された結果、現在はフロリダ州のエバーグレーズ国立公園を中心に三十頭〜五十頭が生息するのみとなった。一九五〇年にはフロリダ州のシンボルとなり、一九六七年には絶滅危惧種に指定されたものの、本格的な調査、および保護活動がはじまったのは一九七二年以降で、森林の伐採や高速道路の開通、また最近では環境汚染により、飢えや病気や交通事故で、その数は今なお減少の一途をたどっている。
(2)タイガ族:主人公オミシュトが属する部族「タイガ」は、フロリダ最古の住民で、パンサー信仰の伝統を持つカルーサ・インディアンをモデルに、著者が創造したものと思われる。

◆ 概略
◇ ジャンル ................... 一般 (オミシュトの視点を追った一人称スタイル)
◇ 時代・舞台 ................................... 現代・フロリダ州南部の湿地帯アーマが豹を撃ち殺した。唯一の証人はオミシュト。アーマの真意を知るのもオミシュトだけだ。アーマの行為を裁くためにふたつの裁判が開かれる。まずは、絶滅種に指定されている動物を殺した罪を問う白人社会の法廷で。続いて、豹を一族の神と仰ぐタイガ族の長老会議で。この事件の行方を最後までしっかり見届けることにより、オミシュトの心は急速な成長を遂げ、やがて自分のアイデンティティを見いだす。

◆ 構成
第1章: OMISHTO / オミシュト     
第2章: STORMLIGHT / 嵐      
第3章: TAKE / 狩り                         
第4章: DESCENT / ふたつの世界  
第5章: JUDGEMENT / 審判      
第6章: THE PLACE OF OLD LAW / 掟
第7章: ONI: WHAT THEY BELIEVE / 風の精霊
第8章: THEY COME TO ME / 巡る季節
第9章: WHAT I HAVE LEFT / 旅立ち

◆ あらすじ
 私の名前はオミシュト。タイガの言葉で「見守る人」という意味だ。私の一族は、かつてスペイン人侵略者によって湿地帯の奥へと追いやられ、今もわずかな沼沢地にへばりつくようにして細々と生きている。タイガ族は豹の末裔といわれている。豹は私たちがやってくるよりずっと前からこの地に暮らしていた。私たちは、敬意をこめてシーサと呼んでいる。シーサはタイガの言葉で「神」とほとんど同じ意味だ。タイガの若い世代は町の近くで暮らしているけど、タイガの中には昔ながらの知恵や信仰を頑に守りながら、湿地帯の奥地にあるキリ沼の向こうで暮らしている人々もいる。私たちは彼らを「沼の人たち」と呼んでいる。
 私はママと姉のドナ、それからママの今の夫ハーマンと暮らしている。私はハーマンが苦手だ。ハーマンは私をいやらしい目で見る。そのことでママは私に嫉妬している。家にいると、いたたまれなくなる。だから、たいてい自分のベッドではなくボートで寝る。実のパパのものだったボートだ。そして、学校へ行っている間以外はほとんどアーマおばさんの家に入り浸っている。
 アーマは、私の本当のおばさんではない。ママの側の遠縁にあたるのは確かだけど。タイガ族は小さな部族だから、全員がどこかしらで繋がっている。アーマは私が知っている他の誰とも違う。一族の歴史や伝説やしきたりに詳しい。白人社会におもねることなく、昔ながらの生き方や考え方を守っている。そして、私たちの先祖がかつて皆そうだったように、風や木や動物たちと心を通わせることができる。私は色んなことを学び取って、アーマのように賢くなりたい。アーマは一族の者に尊敬されると同時に怖れられてもいる。ママはアーマのことを「廃虚のような人」なんて呼んでいる。アーマはママが目指している女性像からあまりにもかけ離れているのだと思う。教会に通い、家を近代的に整え、タイガの迷信やしきたりに背をむけて白人と変わらない生活を送っているママにしてみば、電気も水道も電話も通じていないあばら家で自然だけを相手に生きているアーマは、過去の遺物のように見えるのだろう。私はどっちかというとアーマの生き方のほうが好き。そういう私にしても、アーマに対する気持ちはちょっと複雑だ。誰よりも尊敬してる反面、たまらなく無知に思える時もある。私は学校に通っていて、そこでも色んなことを習うのでアーマの言うことを何もかも鵜呑みにすることはできないし、部族以外の人の目に(部族の中でもママのような人の目に)アーマが狂人のように映るのも無理はないと思う。私はアーマの世界と、現実の世界に足を片方づつ突っ込んでいる。そのせいで、時々とてもつらくなる。
 あの嵐の日も、私はアーマの家にいた。前の晩、空が妙に赤いのを見て、ママは「明日は嵐になるわよ」と言った。まるで大地から流れた血が、天に昇って空全体を真っ赤に染めているようだった。ママの言ったとおり、嵐が来た。嵐なんてここでは別に珍しくも何ともないけど、あんなに猛烈なのは生まれてはじめてだった。嵐が過ぎた後、アーマの家の前では見かけない馬が死んでいた。どこかから吹き飛ばされて来たのだろう。動物たちは茫然自失といった感じで、人間への恐れさえ忘れてあたりをふらふらと歩いている。大地も空も呆然としているように見える。それほどひどい嵐だった。ドアは吹っ飛んでなくなってしまったとはいえ、小屋は何とか持ちこたえた。びっこを引きながら歩いていく一頭の鹿を指して、アーマは「あの鹿を追わなければ」と言った。家の中は水浸しな上に、壁に木の枝や葉っぱが貼り付いてひどい有り様だ。掃除をしはじめたアーマを尻目に、私は深い眠りに落ちていった。 
 どのくらい眠っただろう。アーマが私を起こしにきて「時間よ」と言った。「どこへ行くの?」と聞いても何も答えず、ナイフとロープとライフルを持って家を出ると、歩きはじめた。私がついてきているかどうか、振り返って確かめもしない。それでも、私は催眠術にかけられたようにアーマの後を追った。朦朧としてどのあたりを歩いているかも分からない。びっこの鹿を見かけてからずいぶんたっているのに、アーマには鹿がどこをどう通ったかちゃんと分かるらしい。延々と歩き続けて、「神々の背骨」と呼ばれている場所にやってきた時、アーマが新しい足跡を指差した。鹿ではなく豹の足跡だ。その時になって私はハッと気付いた。アーマが追っているのは鹿ではなく豹なのだ。でも、一体なぜ?フロリダの豹は絶滅の危機に瀕している。確認されている限りでは、三十頭そこそこしか残っていないはずだ。近くに潜んでこちらの様子を窺っている豹の視線を全身に感じた。アーマは「すぐに行くわ、もうすぐよ」と豹にやさしく話しかけながら、さらにその後を追う。アーマには自分がこれからやろうとしていることが、どういうことなのかきちんと分かっているのだ。家を出発して以来、はじめて私の方をまっすぐに見て、「どうしてもやらなければいけないの。こうするしかないのよ」と言った。つまり、アーマはよそ者ではなく、自分でとどめをさしてやりたいと言っているのだ。このまま放っておけば、豹はいずれ飢えて、あるいは汚染された水に身体を蝕まれて、あるいは車に撥ねられて、みじめな最期を迎えるだろう。多くの豹が、そんな風にして死んでいった。それならいっそ、美しいうちに、誇り高く死なせてやりたいと思っているのだ。アーマの気持ちは痛いほど分かるけど、私たちに豹の命を奪う権利はあるのだろうか。
 不意に水を飲んでいる豹の姿が目に入った。あまりにも美しく無防備なその姿に、私は見とれた。撃とうと思えば撃てたのに、アーマは撃たなかった。豹は恐れる風でもなく、私たちを一瞥してから悠々と水に飛び込み、向こう岸に渡った。アーマがそれを追う。私もアーマを追う。しばらく行くと、豹は鹿にかぶりついていた。「こっちへいらっしゃいオミシュト」。呼ばれて、アーマの横に立つと豹は獲物から顔を上げて私を見た。私を豹に紹介し終えると、アーマはおもむろに発砲した。
 アーマは天の声に導かれるように豹を追い、その命を奪った。それは、アーマにとって自分で自分を殺すのに等しい行為だ。生きている時は分からなかったけど、豹の毛には艶がなく、あばらが浮き出ている。この豹が病んでいたのは明らかだ。アーマは息絶えた豹の身体を赤ん坊のように抱き締めて泣いた。木の葉を集めてベッドを作り、その上に豹を横たえ、タバコと食べ物をかたわらに供えた。そして夜が明けると頭皮を剥いで、その亡骸といっしょに袋に入れると、袋をかついで家にむかって歩き出した。帰る道すがら、アーマは言った。「私のしたことが正しかったかどうかは、歴史が決めてくれるわ」と。そして、このことで証言を求められたら、ありのままを正直に答えること、ただし豹が飢えと病に蝕まれていたことだけは誰にも言わないことを私に約束させた。
 アーマの家につくと私はベッドに倒れこんで、眠った。夜になると警察がやってきた。アーマには保安官らが来るのが分かっていたらしく、すでにまとめてあった身の回りのわずかな品を持って、落ち着きついた足取りでパトカーに乗り込んだ。保安官は豹の亡骸と銃を探して方々を見て回ったが、ついに見つけられないままアーマを連れて去った。家にひとり残された私は、そこらじゅうを探した。豹は見つからなかったけど、ぬかるみの中にアーマのものより大きい、女性の足跡を見つけた。私が眠っている間に、ここを訪れた人がいるようだ。
 次の朝、一番近くの公衆電話まで歩いて家に電話をかけ、ドナに車で迎えにきてもらった。ママは私の無事に帰って来たのを見て喜んだ。でも、少し落ち着くと怒りはじめた。豹の一件は早くもアメリカ中に知れわたり、絶滅種を故意に殺したということで非難の嵐が巻き起こっていた。アーマだけでなく、私の顔写真までが新聞に掲載され、ママの家にも私をなじる電話が数件かかってきたらしい。「あんたはまだ未成年なのに、写真を載せるなんて違法行為よ」。ママの怒りは見当違いの方へ逸れていく。「あんたみたいに優しい子が加担してたなんて、考えられないわ」。そして、すべてはアーマのせいということで収まった。本当のことを話したかった。でも、しょせんママには分かってもらえないだろう。だから、私は黙っていた。
 ママの家では洗濯機の回る音が聞こえ、昼間だというのに電気が煌々とついていた。アーマの家から大して離れているわけでもないのに、ここは別世界だ。何もかもが、縮んでしまったように小さく思える。この家も、私のベッドも、こんなに狭かったっけ。それとも、私が大きくなってしまったのだろうか。でも、もう元へは戻れない。銃が火を噴いたあの瞬間を境に、すべてが変わってしまった。思えばあの大嵐は、この事件の前触れだったのかもしれない。
 月曜日の朝、私は学校へ行った。いつも車で迎えにきてくれるジュエルが来なかったので、歩いて行った。来ないだろうとは思ってたけど、来てほしかった。大分、遅刻した。私のロッカーに、誰かが黒いペンキで「人殺し!」と落書きしているのを見て、身体からへなへなと力が抜けていった。教室でも、食堂でも、冷たい視線がつきささる。誰も私に話しかけようとしない。ひとりでいると、色んなことが見えてくる。そもそも、彼らに何が分かるというのだろう。モノにあふれた世界でお仕着せの考えを学ぶうちに、人間が本来持っていた感覚を失って、物事をまっすぐに受け止めることができなくなってしまった人ばかりだ。今回のことがなければ、私もその仲間入りをしていたかもしれない。そう考えると、彼らの視線が気にならなくなった。チャイムが鳴ると、私は頭を高くもたげ、背筋をぴんと伸ばして、教室に向かった。
 以前、アーマがタイガ族に伝わるこんな物語を語ってくれたことがある。世界ができてタイガの人々がこの地に暮らすようになって間もない頃、豹は人間と同じように二本足で歩いていた。ある日、大きな嵐がやってきて世界の間の壁を引き裂いた。ひとりのタイガ族の女が豹に導かれて、この亀裂からもうひとつの世界に踏みこんだ。もうひとつの世界では川が燃えさかり、動物たちは病み、世界もろとも死に行こうとしていた。ふたりの後ろで裂け目は閉じてしまい、女と豹はもと来た世界に戻る手立てを失ってしまった。豹は女に言った。「私を殺し、頭部をよく目につく場所にかかげなさい。私の魂はそれを目印にここへ戻り、もとの肉体を得て、再び生きることができる」と。女は言われたとおりにした。豹がその肉体を取り戻すと、もとの世界に戻る扉が開かれた。女は豹に姿を変え、もう一頭の豹とともに誰も知らない土地へと去っていった。アーマはこの伝説を信じて、あの豹を撃ったのかもしれない。いた。私も証人として喚問を受けた。話したいことは、いっぱいある。これは起きるべくして起きたこと。アーマにはああする以外になかったこと。この世界も豹もタイガ族も、じわじわと、でも確実に死につつあること。それを食い止めるために、アーマは自分が信じる唯一の方法で立ちあがったのだ。でも、ここでそんなことを言ったところで、どうにもならない。だから私は事実だけを淡々と答えた。この法廷はまやかしだ。それでも、私は真実を述べた。すべてを語らないかわりに、嘘もつかなかった。豹の亡骸と、豹を撃った銃はついに発見されずじまいで、証拠として検察側が提出できたのは豹を撃ったのとは別のライフル一丁と豹の首にはめられていた発信装置つきの首輪だけだった。どちらもアーマの家で見つかったものだ。これで、警察があれほど早くアーマの家にやってきた理由が分かった。豹の首輪が発する信号を追跡してきたのだ。そうと知りながら、アーマはあえて首輪を持ち帰った。数日にわたる公判の末、アーマは証拠不十分ということで無罪放免になった。判決が下ってしばらくして被告席のアーマのもとへ行き、その腕にそっと手を触れると、アーマは私を見てこう言った。「まだ終わったわけじゃないわ」と。
 数日後、私は「沼の人たち」の長老会議に呼ばれた。キリ沼につくと、長老たちはたき火を囲んで座っていた。そこにはアーマもいた。ジェイニー・ソトとママの年長の従姉妹であるアニー・ハイド以外はほとんど見たことのない顔ぶれだ。アニー・ハイドにうながされて、私はすべてを語った。ここで審議されるのは、アーマが豹を殺した犯人かどうかではなく、なぜ殺したのかだ。私は法廷では話そうにも話せなかったことも含めて、すべてを正直に語った。豹が病み衰えていたということを除いて。なぜ、アーマが私に口止めしたのか、ずっと不思議だった。自分を不利な立場に追い込むだけなのに。でもここへ来てみて、やっと分かった。アーマは長老たちに豹のみじめな姿を見せたくなかったのだ。ノミに食われた跡だらけの、あばらが浮き出たその姿を見れば豹を神と崇める長老たちはひどく心を痛めるに違いないからだ。私がそうだったみたいに。だから、ひとりの長老がアーマに、「なぜ、しきたり通りに豹の亡骸を我々のもとに持って来なかったのか」とたずねた時も、私は口をつぐんでいた。長老たちはアーマにどんな裁きを与えるかについて相談をはじめた。
 私にはタイガの言葉が分からないので、何を話しているのか理解することはできなかったけど、「追放」という言葉だけは聞き取れた。「追放」は「死罪」と同じだ。アーマは静かに立ち上がって、ゆっくりと去っていった。ちょうど日が沈もうとしている。私はアーマを追いかけようとした。でも、アニー・ハイドに止められた。アニー・ハイドの口調は優しかったけど、有無を言わせない響きがあった。
 家に帰ると、私はわずかな衣類や身の回りの品を枕カバーにつめて、パパのボートに乗りこんだ。湿地帯へと漕ぎ出し、ボートに座って色んなことを考えた。アーマのこと。豹のこと。長老たちのこと。神様のこと。私をとりまく世界のこと。そして、これまでに起きたすべてのことについて、延々と考えた。
 私はアーマの家に住もうと決めた。アーマがここに帰ってくるとは思えないけど、ここにいるのが一番自然なことのように思えたからだ。保安官が来て、私からアーマの居所を聞き出そうとした。ハーマンが来て、私を家に連れ戻そうとした。ママが来て、泣いたりわめいたりした。ドナが来て、私のことを親不孝者だとなじった。でも、私は家には戻らない。これからはここで、他の誰のものでもない私だけの人生を私らしく生きていくつもりだ。二度めにやってきた時、ママの様子はちょっと違っていた。酔っぱらって暴力をふるうパパから逃れ、まだ幼いドナと私を連れて「沼の人たち」のもとに身を寄せた一時期のことを話してくれた。ママは結局「沼の人たち」の生活に完全に馴染むことができず、キリ沼を去った。ママとはきっと一生わかりあえないと思う。でも、あんなに素直に話し合えたのは、はじめてだった。
 数週間後、私は荷物をまとめてキリ沼へと向かった。ジェイニー・ソトとアニー・ハイドが丸太に並んで座って私を待っていた。まるで、私が来ることを前から知っていたかのように。

◆ 感想
 本書は、絶滅が危惧されるフロリダ・パンサー殺しを縦糸とし、そこに、ネイティブ・アメリカン、しいては現代社会がかかえる様々な問題を絡めながら進行していく。
 環境汚染。農地拡張や宅地開発による森林伐採や沼沢地の埋め立て。野生動物保護の頼りない現状。ネイティブ・アメリカンが受けてきた(また今なお受け続けている)迫害。離婚家庭における複雑な親子関係。扱っている問題はいずれも重いが、それを声高に説くのではなく、16歳の少女に、虚飾のない言葉で淡々と語らせることによって、危機感がひたひたと身に迫ってくる。
 ファンタジックな要素はなく、地に足のついた作品なのだが、タイガ族の伝説や鬱蒼としたフロリダの自然そのものが神秘に満ちているせいか、全体的に幻想小説のような趣が漂っている。また、周りの風景とオミシュトの心の動きが、絶妙なタイミングで交錯しながら描かれて、ゆったりとしたテンポながらめりはりが効いて読者を飽きさせない。
 ネイティブ・アメリカンといえば、『リトル・トリー』のように大自然とよりそって生きる素朴な人々、あるいは、映画『ダンス・ウィズ・ウルブス』や『ポカホンタス』のように「迫害された民」として描かれるか、ふたつにひとつだったが、それはまるで、日本人といえば、サムライ・フジヤマ・ゲイシャと認識するようなもので、いかにも前時代的だ。しかし、最近になって、映画化もされたシャーマン・アレクシーの『ローンレンジャーとトント、天国で殴り合う』といった作品が登場し、小説が、ようやくネイティブ・アメリカンの現状に追いついてきた。
 迫害の時代を生き抜いたネイティヴ・アメリカンをリザベーション(居留地)第一世代とすると、リザベーション生まれのその次の世代は、白人社会(物質世界・キリスト教信仰)への憧れと、インディアンの伝統(精神世界・自然崇拝)に対する誇りの間で葛藤してきた世代といえる。本書でいうと、オミシュトの母が、その典型だ。さらに、次の世代である現代のネイティブ・アメリカンの若者たちは、ドナのように白人社会にとけ込んで生きるにせよ、オミシュトのように民族の伝統を守って生きるにせよ、自分で自分のアイデンティティを見つけることができるようになってきた。オミシュトが後者の道を選択するまでには、もちろん様々な葛藤があるが、彼女の「自分探しの旅」には、ひと世代前のネイティブ・アメリカンにつきまとう悲愴感や自虐性はなく、読み終った後に残る味はあくまでも爽やかだ。
 大人だけでなく、アイデンティティに目覚めはじめたヤングアダルト層に、ぜひ読んでもらいたい。そして、「パワー」という題に込められた意味を考えてもらいたい。

 copyright © 2003 Mizuhito Kanehara

 last updated 2003/12/25